3・11甲状腺がん子ども基金シンポジウム 「原発事故と甲状腺がん 当事者の声をきくvol.2」に参加して <後編>

  運営委員 松永 健吾
 4月のニュースレターで「東京電力福島第一原発放射能漏れ事故」(以下「原発事故」)後に子どもの甲状腺がんが多発している事をお伝えしました。今回も引き続きそのことについて述べさせていただきます。

 私は、昨年12月に、熊本県水俣市の水俣病資料館を訪問しました。資料館は、水俣湾に面したエコパーク水俣という陸上競技場や野球場などがある広大な公園の一角にあります。(後から、その場所が汚染された海を埋め立てて作られた場所だと知り、ショックを受けました。)歴史は繰り返されると言いますが、原発事故後に子どもたちの甲状腺がんが多発している問題で、水俣病の時とまったく同じようなことが起きていることに、大変ショックを受けました。

 ご存知の通り、水俣病とは、熊本県水俣湾周辺の新日本窒素肥料株式会社(現チッソ株式会社)の化学工場から海や河川に排出されたメチル水銀により汚染された海産物を、住民が長期に渡り食べたことで、中毒性中枢神経系疾患が集団発生した公害病です。日本における高度経済成長期の負の側面である四大公害病の1つでもあります。昨年9月にジョニー・デップ主演の映画『MINAMATA―ミナマター』が公開され、今再び注目されています。当初は原因不明の難病とされ、周りの人々はうつるのを恐れ、患者やその家族は村八分にされて、家から外に出るなと言われたり、石を投げつけられたり、結婚や就職などにおいても差別を受けたそうです。当初から工場排水が原因ではないかと言われていたにもかかわらず、その後も工場はどんどん拡大され、工場排水が垂れ流され続けました。病気の原因が特定されるまでに、何十年ものの年月がかかりました。今回の原発事故後の子どもたちの甲状腺がんと水俣病は、まったく同じ構造のように思われます。東京電力とチッソ株式会社とが、重なって見えます。

 福島県の「県民健康調査」の検討委員会の中には、子どもの甲状腺がんの多発は「過剰診断」が原因だと主張し、検査を縮小させようと言う動きがあるそうです。福島の学校などでは、子どもたちの甲状腺がんは野菜不足と同程度の発がん率だと記載されたパンフレットが出回っていると言います。(一種のプロパガンダの様に思われます。)さらには、甲状腺がんやその患者の事を「風評加害」だと言う議員や学者がいるそうです。私は「風評加害」と言う言葉を初めて耳にしましたが、原発事故の「風評被害」を撒き散らす人のことを言うそうです。福島のイメージを悪くし復興を遅らせるとして、原発事故の被害を小さく見せようとする動きがあるようです。原発を推進しようとする人々にとっては、子どもの甲状腺がんが多発している事実が世の中に広く知れ渡ると、逆風が吹くからでしょう。しかし、甲状腺検査は甲状腺がんの早期発見に繋がり、子どもの健康にとって非常に大切なものです。経済を優先させるために子どもたちの命や健康が脅かされるようなことは、決してあってはならないと思います。

 今年1月27日、原発事故で放出された放射性物質により小児甲状腺がんを発症したとして、事故当時6~16歳で福島県内に住んでいた男女6人が、東京電力に計6億1600万円の損害賠償を求める訴訟を、東京地裁に起こしました。これまでの水俣病患者や原爆被爆者などと同様に、裁判には何十年もかかることが予想されます。東京電力をはじめ、政府や福島県は甲状腺がんになった子どもたちの支援を早急に行うべきだと思います。(甲状腺がんの手術費用や治療費などの経済的支援や、多くの不安や悩みを抱える若者への心理的な支援など。)

 東日本大震災、原発事故から11年が過ぎ、人々の関心が薄れてきています。しかし最近になって、子どもたちの甲状腺がんが多発している事実が徐々に明らかになってきました。水俣病の場合と同様に、被害を受けた人々は差別や偏見を恐れて声を上げにくく、泣き寝入りすることがほとんどです。こうしたことは誰にでも起こり得る問題で、私たちの社会全体の問題だと思います。まずはきちんと知ることが重要です。そして何よりも、甲状腺がんになった子どもたちに寄り添い、思いを寄せることが大切ではないかと思います。私たち一人ひとりがこれからもずっと関心を持ち続けることが、政府や福島県、東京電力などを動かす力になるのではないかと思います。

 下記の<ご参考>欄の当事者アンケートの報告書には、当事者からのメッセージも掲載されていますので、よろしければぜひお読みになっていただけると幸いです。

<ご参考>

3・11甲状腺がん子ども基金のホームページ
https://www.311kikin.org/
『原発事故から10年 いま、当事者の声をきく―甲状腺がん当事者アンケート 105人の声―』(A4版96ページ、2021年10月15日発行 価格:1,000円 PDF版は下記の3・11甲状腺がん子ども基金のホームページから無料でダウンロード可能です。)https://www.311kikin.org/wp-311kikin/asset/images/pdf/questionnaire2021.pdf

メキシコの高校から メキシコで高校教師をしている友人に、新型コロナ・パンデミックの影響を聞く

共同代表・松本 裕美(NPO職員)

松本/自己紹介をお願いします。

みなさん、こんにちは。私は、カレン・マラゴン・カルデロンと言います。メキシ コ国立自治大学で社会学を学び、今、ちょうどメキシコ史教育の修士号を取得してい るところです。同時に、メキシコ国立自治大学の科学人文科学部付属高校の教員をし ています。教員になって12年になりますが、メキシコの歴史、世界史、政治学を担当 しています。その中でも、メキシコ史を教えるのが一番好きです。

松本/パンデミック前後での授業スタイルの変化について、教えてください。

メキシコ史を教えるのが一番好きだと話しましたが、それは生徒たちが、単に暗記 するのではなく、どうしたらメキシコの現実に対して、歴史的、分析的、批判的認識 を持てるようになるかを探りながら授業をしているからです。 パンデミック前は、基本的にワークショップ形式で授業をやっていました。生徒た ちが、校内の図書室でそのテーマに関するものを読んだり調べたりするようにして、 インターネットの使用は稀に許可するくらいでした。その後、授業の中で課題を発展 させ、最終的にテーマに関して議論をします。生徒たちはグループに分かれて、チー ムで協力して学習していくようにしていました。そうする中で、彼ら一人ひとりが、 問題をどう捉えているか自分の考えを表出し、歴史的事実と現在を比較しようとして いたので、私はその時間がとても好きでした。 パンデミックになり、状況は大きく変わりました。すべてオンライン授業になり、 生徒は物理的に図書室に行けないため、インターネットでの調査を許可するしかあり ませんでした。それによって、生徒たちは最初に見た情報を鵜呑みにしたり、間違っ た情報を得てしまったり、ということがありました。そんな状況だったので、後期の 2021年2月には、私自身が必要な情報を選択して、それを生徒に送ることにしました。 オンライン(ビデオ通話)でテーマ学習をする際、「携帯にその機能がない」、「カ メラが機能しない」などの理由で、カメラをつけない生徒が複数いたので、コミュニ ケーションをとるうえでも一苦労しました。参加したくない、という生徒も多く、励 まし、呼びかける必要がありました。 加えて、残念ながら、生徒たちは参加したがらないために私だけが話している、と いう状況が、担当するすべてのグループでありました。彼らが授業をきちんと聞いて いるのか、ただ入室しただけで誰も聞いていない中で私一人が話しているのか、わか らないこともあり、正直、フラストレーションがたまりましたね。

松本/この前、いよいよ対面授業が始まると話していましたね?

今年2月からの下半期が5月に終了するところで、状況は少し変化してきています。 ついに、ハイブリッド授業が始まりました。ハイブリット授業は、バーチャル参加と実際に教室に来る生徒を半々にした授業で、それにより、テーマに関して話し合うこ とができるようになってきました。すべての生徒が教室にいるわけではないですが、 やっと生徒たちと直接会って、互いを知ることができるようになったので、とても嬉 しいです。今、彼らは、学校でやりたかったことをしていますよ。それは単に授業に 参加するだけではなく、仲間や教員たちと一緒にすごすことです。

中高生もいよいよ教室に戻ってきた。(現地紙El Financiero掲載写真)

松本/カレンさんや生徒たち、教員たちの間で、変化したことは?

難しいことがたくさんありましたね。経済的に困窮している生徒たちが、コミュニ ケーション手段になる通信機器を持っていなかったり、経済的理由や家族の病気、家 族が亡くなったという理由で、学校をやめた生徒もいました。生徒や教員の中には、 孤立したことで鬱になった人たちも。 家庭内暴力の問題もありました。今まで表面化していなかった問題が可視化された とも言えますが。決定的に大きな変化は、24時間、共に家族として生活していた大切 な人たちと、「一緒に暮らすことを学んだ」ということでしょう。また、テクノロジー に依存してリモートで活動しなければならない暮らしでは、失敗も多々ありますね。

松本/この期間を経て、カレンさんが思うことは?

教員として、生徒たちにより共感できるようになったと思います。生徒たちは、ア ドバイスや問題解決を必要としているわけではなく、ただ誰かと話したいだけという 時もあることを知りました。 一方で、私は生徒を助けたいと思っています。生徒たちの学習や家族の問題につい ても状況を知っていますが、本人が私たちの助けを求めないならば、ただ話を聞くこ とが肝心。そして、彼らが必要な助け、知識を得られるように、私たち教員は努力し ていくことが大切だと思います。いくら私たちが必要性を訴えても、生徒自身がそれ を身につけたいと思わなければ、意味がないですからね