こんにちは!運営委員です2018 その5 Jaime Soc(ハイメ・ソック)

*今年度の運営委員が、自分のこと、今考えていることなどを語ります。

 私の名前はハイメ・ソックです。今回は、私の国である中米グアテマラからご挨拶させていただきます。専門はジャーナリズムで、今はグアテマラ全国規模のラジオ局(Emisoras Unidas:https://emisorasunidas.com/)の特派員として働いています。以前、日本を訪れたこともあります。そのときの美しい景色と日本の素晴らしいサービス、人々の規律正しさと正直さには、心から感激しました。物を置き忘れても、そのままの状態で落とし物として届けられる日本。残念ながら、私の国グアテマラでは、すぐになくなってしまいます(ので、皆さん気をつけてください)。

 さて、話を私の国のことに戻しますと、皆さんもご存知の通り、6月3日にフエゴ火山の噴火がありました。ふもとにある村々は壊滅的な被害を受け、これまでに110名以上の死者と数えきれないほどの行方不明者が報告されています。

 火山の噴火が起きたのは、皆がのんびりと過ごしていた日曜日の昼時でした。突然の噴火という緊急事態の知らせとともに、次々と現場の様子が送られてきました。写真やビデオには、噴出する火砕流から逃げる人々が映し出されていました。子どもを抱えながら逃げるも残りの家族が見当たらないと叫ぶ人など・・・その惨状には心が痛みました。

 私が住んでいるケツァルテナンゴは、フエゴ火山から離れているため、火山の噴火が直接影響するようなことはありませんでした。そのため、噴火がわかってからすぐに、被災者に支援物資を送るための住民への呼びかけが始まり、数時間後には消防士らが、集まった支援物資を現地に届けるために出発しました。

 そしてその翌日、フエゴ火山近隣の地域で働く私の同僚らから、火山灰に埋まった亡くなった人々や火山灰だらけになった人々の写真が送られてきました。同僚は、現状を伝えるために絶え間なく取材を重ね、また国内の人々は被災者のために食料、衣料、飲料水や義援金などを集めて、寄付を続けました。そして、グアテマラとメキシコの救急隊は、最も被害の大きかった地域を中心に、引き続き、行方不明者の捜索にあたりました。同僚によると、現場は噴火にともなう硫化水素の匂いなどが立ち込め、立っているだけでも苦痛なほどだったそうです。

 フエゴ火山の噴火被害については、私の地域で起こったことではなかったので直接の取材はしませんでした。しかし、被害の状況を伝えられるたびに、まずは仕事に専念をするものの、その惨状には心が痛み、幾度となく涙がこぼれました。仕事をするには、冷静でいなければならないことはわかっているものの、一旦仕事を離れると、同じグアテマラ人として、人々の痛みを分かち合わずにはいられません。

 今現在においても、行方不明になった人の捜索が続けられ、亡くなった人々の遺体が収容されています。亡くなった方の多くは、貧しい人々だと言われています。被災者の多くも貧しい人々だと言われています。その原因は何でしょう。

 フエゴ火山の噴火について、また別のことについてでも、ご質問やご意見をお待しております。これからも、ニュースレターにはグアテマラから投稿を続けますので、皆さんよろしくお願いします。


(2018年6月発行のニュースレターNo281より)

フィリピン・ストリートチルドレンと出会う旅2018感想文 その2

今年のツアーは、大学生4人、高校生1人の計5人での旅となりました。幼稚園で日本の子ども向けの歌とダンスを披露したり、路上や施設の子どもたちとフィリピン・ポップスのダンスを踊ったり、元気いっぱいの一週間でした。

 訪問先は、次の5団体です。
NGO「サルネリ・センター・フォー・ストリートチルドレン
 ストリートファミリーの子どもたちのためのデイセンターを運営する。
NGO「パンガラップ・シェルター・フォー・ストリートチルドレン
スラムヘの支援活動と施設運営をする。
NGO「バハイ・トゥルヤン」  
モーバイル・ユニット車両を用いた路上訪問と施設運営をする 。
フリースクール「パアララン・パンタオ
パヤタス地区の元ゴミ集積場近くにある貧困家庭の子ども対象の学校。
NGO「チャイルドホープ・フィリピン
路上訪問をするストリートエデュケーター派遣を中心に活動する。  

大日方 麻衣(大学生)
〈はじめに〉
私がこのツアーに参加するきっかけとなったのが、工藤さんの講演でした。私は日本の社会的養護に関心があり、児童養護のゼミに所属し学んでいます。そんなとき、大学の授業でスタディツアーの案内人である工藤さんが講演してくださり、そこで初めて「ストリートチルドレン」という言葉、存在を知りました。それまでは、日本の貧困など国内のことにしか興味がありませんでした。しかし、講演を通して国外の子どもたちの暮らし、貧困の現状などを少し知ることができ、実際に現地に行って関わりたいと、このツアーに参加することを決めました。日本から出たことがなく、英語も話せない私にとっては大きな一歩であり、挑戦でもありました。
〈市場の路上に住むストリートファミリーの元へ行ってみて考えたこと〉
「人を助けたいから医者になりたい」と言った少女がいた。まず、「夢」を抱いていることに、ストリートで過ごす子どもたちだからといって決して人生を諦めたりせずに、自分の人生を歩んでいるのだなと思った。それは、私のように家があり帰る場所があり、安定した生活をしていたら、当たり前のことなのかもしれない。しかし、ストリートチルドレンにとって、「夢」を抱けることは当たり前ではないと感じた。学校に行けない、行かない、十分な生活ができていない子どもたちには、将来の展望が明確には見えてこない。そのため、医者になりたいと夢を抱く彼女にとって、エデュケーター、ソーシャルワーカーとの関わりは大きなものだったのではないだろうか。
ストリートエデュケーションの取り組みは、ストリートチルドレンのそれぞれの可能性を拾い上げ、広げていくものだと考えた。彼女だけではなく、夢を持つ少年、少女がたくさんいた。彼らのように「夢」を持つという当たり前のことを当たり前にできるようにしていくことや、その夢へと続く環境を選択し、夢を実現していけるようにすること。エデュケーターとソーシャルワーカーには、そのための架け橋となる力が必要であり、これからより多くの地域で子どもたちとの関わりを作っていくことが求められるだろう。そして、ストリートチルドレンが親になったとき、再びストリートファミリーをつくらないためにも、教育の機会は必ず必要だろう。
〈笑顔に隠れたもの〉
ストリートで過ごす子どもたちと、短い時間ではあったが関わることができ、とても楽しかった。笑顔がとても素敵だった。しかし、笑顔だからストリートで過ごすことが平気だというわけではないことを知った。子どもたちのリーダーであったが、ストリート生活のストレスなどで薬物を吸い始めたという子どもがいた。正直、話を聞くまで薬物を吸っているようには全く感じなかった。笑顔の裏には様々な困難、ストレスが隠れていた。笑顔で楽しそうだから「大丈夫」ではないのだと、改めて感じた。
日本では、児童養護施設でボランティアをしているのだが、施設の子どもたちも、とても元気で笑顔をたくさん見せてくれる。しかし、親と一緒に暮らせないということは、私には想像もつかないくらい辛く、過酷なことだと思う。ストリートチルドレンと日本の社会的養護のもとで生活する子どもとでは、一見、問題が全く異なるようではあるが、共通するのは、子どもたちの笑顔の裏にある本当の気持ちに寄り添っていくことが必要だということだ。そうした関わりが、子どもたちとの関係を深くし、支援をより一層充実したものにできるだろう。私は、まず今できることとして、ボランティア先の子どもたちとの関わりを濃いものにしていくために、一人ひとりの子どもに寄り添っていきたい。そして、ストリートチルドレンとも関わりを持てるようにしていきたい。
 ストリートで過ごす子どもたちが前に進むよう、私にもできることは必ずあるのだと、強く思った。私は私のやりたいこと、やってみたいことをやって行くことで、出会った子どもたちと共に前進していきたい。
〈最後に〉
「人は関わった時点で友だち、大切な人。他人じゃなくなる」ということを知った8日間でした。フィリピンでの出会いを忘れず、共に歩んでいきたいです。最後になりますが、今回のツアー案内人であった工藤さん、篠田さん、本当にありがとうございました。

松本 希良梨(大学生)
 この春、私は初めてフィリピンに降り立った。空港を出た瞬間からカラフルな景色が広がっている。非現実的だとさえ感じた。しかし、私が一週間を通してみたものは、厳しい現実だった。そのなかで感じたいくつかのことを書き連ねていく。

 私がこのツアーに参加して感じたことの一つは、教育の重要性だ。貧困が教育を受ける機会を奪っており、そのことが子どもたちの可能性を奪っていることを実感した。その現実に触れることによって、貧困がもたらす残酷さを思い知った。路上で生活する小さい子どもたちや悪臭が漂うゴミだらけの環境で暮らす子どもたちを、たくさん見た。物乞いをする子ども、盗みを働こうとする少年もいる。彼らの多くは学校に行かず、その日を食いつなぐために生きている。そこには、教育を受けてこなかった子どもたちは大人になっても職を手に入れられず、貧困状態から抜け出すことができないという、悪循環ができあがっている。この悪循環を断ち切るために必要なのが、教育の力だった。

 「バハイ・トゥルヤン」などのNGOによって派遣されるストリートエデュケーターや運営されているドロップインセンターは、まさに彼らの人生を変える存在であった。彼らがいなければ、子どもたちは教育を受ける機会があることも知らずに育っていってしまうかもしれないし、自分には本来無限の可能性があるということを知らずに、一生を終えてしまうかもしれないのである。子どもたちみんなが十分な教育を受けられる環境をすぐにつくることは難しいが、教育を受ける機会を与え、そのなかでリーダーシップを持つ子どもを支援し、ロールモデルをつくっていくNGOの活動は、非常に建設的だと感じた。

 訪れたスラム地域に住む子どもたちは、みんなで食事する時間にご飯を投げたり、友だちのご飯のなかに水をいれたりと、日本の同年代の子どもたちと比べてやんちゃで、食事時間はまさに無秩序な状態であった。日本社会が厳しいだけなのかもしれないが、日常における態度や姿勢、倫理観なども、教育によって刷り込まれているということを、初めて意識した。幼稚園や小学校で、当たり前のように教育を受けてきているために見過ごしていたが、自分が思っていたよりも、教育は成長過程において重要な役割を担うものだった。

 「パアララン・パンタオ」を訪問したときのことだ。この団体の支援で奨学金をもらう代わりに、団体が運営するフリースクールでボランティアをしている大学生に、ボランティア活動をしていて何か楽しいことやよかったことはあるかと尋ねると、それまで積極的に意見を述べてくれていた彼らが、困った表情をした。少し間をおいてから、一人が「子どもたちとの交流が楽しく、ストレス解消になる」と言った。また、ほかの一人は、「よかったと思うことはあまりないが、この施設が好きだから続けている」と言った。奨学金をもらい続けるには、学業において一定以上の成績を修めなければならず、ボランティアをしながらだと、それが少し大変だという意見もあった。表には出しづらい、彼らの率直な思いが聞けて、親近感に似た感情を抱いた。

 フィリピンの人々は、貧困のなかでも笑顔で明るく生きていると描写されがちだ。が、やはり彼らにも、悩みや不満はあるだろうということを感じ取ることができた。施設を訪問しにきた日本の大学生と施設で活動するフィリピンの大学生という構図を壊して、もっと本音を聞いてみたいと思った。このツアーはストリートチルドレンと出会う旅であったが、現地の同年代の生活を知り、考えを聞いたことによる刺激が一番大きかった。

 フィリピンの子どもたちや同年代の人々と話して、「情けない」と、私は思った。自分が温室生まれ温室育ちであることを痛感したのである。私は今、文学部で勉強している。このことをNGOのドロップインセンターのスタッフに伝えると、彼は「僕もそこで学びたかった」と言った。「パンガラップ・シェルター」のスタッフとそこで生活する大学生に伝えると、「文学は賢い人しか学べないものだ」と言った。確かに、今回の旅で出会った奨学金をもらっている大学生は皆、エンジニアや経営者、ソーシャルワーカーになるための勉強といった、手に職をつけるための勉強をしていた。フィリピンの貧困層の人々は、職を手に入れることが最優先で、そのために大学進学するのであり、彼らにとって純粋に学問そのものを楽しむということは、現実味のない話なのだ。私が日本でいかにぜいたくな暮らしをしているかを実感した。

 長い間、英語を勉強しているにもかかわらず、彼らに自分の意志や考えを正確に伝えることができなかった。それが本当に悔しかった。そして、一生懸命に今を生きる彼らの姿に、うしろめたさを感じた。彼らは将来を見据えて考え、行動していた。その姿を目の当たりにすることによって、モラトリアム期間に甘えている自分が浮き彫りになったのである。この旅は、フィリピンの貧困社会に生きる人々のことを知るだけでなく、自分を見つめなおす機会にもなった。自分の置かれている環境に感謝し、目的意識をもって生きていく必要があると、強く感じた。

 厳しい現実のなかにも、たくさんの笑顔があった。フィリピンの人々はみんな、陽気で歌とダンスが大好きだった。ストリートエデュケーターの活動に参加させてもらったときに、みんなでゲームをした。その際に、子どもたちが踊っていた音楽が頭から離れず、翌日、ココナッツ・エコツアーを案内してくれた「バハイ・トゥルヤン」の定住ホームの男の子たちに、この曲を知っているかとうろ覚えのメロディーを聴かせて尋ねた。そうすると、彼らみんなこの曲を知っており、ダンスを披露してくれた。それから私たちは、この曲をずっと口ずさみ、夜遅くまでダンスを練習した。この曲は、私たちにとって思い出深いものとなった。これからもずっと忘れないだろう。

 最後に、ツアーに一緒に参加したばんちゃん、さなちゃん、まいちゃん、アレックス。一週間ありがとう。そして引率してくださった工藤さんと篠田さんには本当にお世話になりました。ありがとうございました。



(2018年5月発行のニュースレターNo280より)