メキシコ・ストリートチルドレンと出会う旅 2019 感想文

23回目となったツアーには、日本から大学生10人と社会人3人が参加したほかに、現地メキシコ在住の日本人女性2人も部分参加しました。実は、ほかにもキャンセル待ちの方や、現地在住でツアー出発直前に「参加したい」と連絡をくださった方がいらっしゃいましたが、人数が多くなりすぎるため、今回はお断りさせていただきました

現地では、例年と同様、次の5つのNGOを訪ね、子どもたちやスタッフとその活動に参加しました
[訪問先]
プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ/ストリートエデュケーションとデイセンター
カサ・アリアンサ・メヒコ/ストリートエデュケーションとデイセンター、男子(難民少年を含む)&女子定住ホーム
オガーレス・プロビデンシア/乳幼児&男子&女子定住ホーム、ピクニック
オリン・シワツィン/都市貧困層の子どものための保育所と地域の人々の生活現場
カウセ・シウダダーノ/都市貧困層の子どもや若者のためのコミュニティセンター
ジョリア、ニーニャス・デ・ラ・カジェ/貧困家庭や路上生活の少女の定住ホーム、ホーム周辺の貧困家庭の子どもたちを対象にしたストリートエデュケーション

 先月号より、参加者の感想をご紹介しています。なお、今年のツアーを通して知った、子どもたちの現状や現地NGO の活動状況については、11月10日のツアー報告会にて、旅の案内人をつとめた共同代表の工藤律子が、詳しく報告します。

高木 千裕(大学生)
 中学生、高校生の時から世界の貧困層やキルギスの誘拐婚など、貧困問題、人権問題に興味があったが、ネットや本を通して知識を得るだけで、実際に現地へ行って行動することは難しかったので、今回のツアーを知り、是非参加したいと思った。

 ツアーに参加する前は、ストリートに住んでいる人たちは住む家もなく、教育も受けれず可哀想だ、という気持ちだった。が、現地ではまったく違った印象を受けた。

 施設の子どもたちはみんな人懐っこく、突然来た私たちを受け入れてくれて、とても嬉しかった反面、「この子たちは、どういった家庭状況で育ち、なぜこの施設にいるのだろうか」ということが気になった。子どもたちと会話をする中で、「誕生日はいつ?」、「お父さん、お母さんは何歳?」といった質問を受けたので、私も聞き返すと、「自分の誕生日はわからない、親がいないので知らない」と言った回答が返ってきた。聞いてはいけないことを聞いたかなと、私は気にしたが、子どもたちはあまり気にしていないようで、すぐに笑顔に戻った。まだ、中学校に上がる前の年齢の子たちなのに、自分の現状を受け入れていて、強いなと思った一方で、施設やストリートの子どもたちにとって、それが当たり前になっていることが悲しかった。

 施設で生活している子もストリートで生活している子も、「日本ってどんな国?日本では何を食べてるの?日本語で何て言うの?」など、たくさん質問してくれて、とても好奇心旺盛だった。家庭環境のせいで、学校に行き勉強する大切さを知らないだけで、この子たちがきちんと学校に通えるようになれば一人ひとりがすごく伸びるのではないかと感じた。「ストリートで生活している子たちは、教育を受ける大切さを知らないので、学校へ行きたいと思っていない」と、ストリートエデュケーターが言っていた。もし、私が今後、ボランティアに参加する機会があれば、子どもたちの持っている好奇心を大切にして、勉強の重要性を教えたいと思った。

 保育園を訪れた際には、一緒におままごとをしたが、お母さん役の子が子ども役の子にご飯をあげなかったり、言動がきつかったり、自分の家で起こっていることを真似ているのだと先生が言っていた。日頃の遊びの中にも、それぞれの家庭環境が現れるほど、子どもにとって親の言動の影響は大きいものであると実感した。

 また、元娼婦だった女性の話は、同じ女性としてとても悲しくなった。しかし、旦那さんと出会えたことで大学にも通えるようになり、子どももきちんと育てられるようになり、その旦那さんと出会えて本当に良かったと思う。娼婦の女性が旦那さんと出会ったり、ストリートチルドレンの子どもがエデュケーターと出会ったり、人との出会いは大切であることに気づくことができた。

 2週間のツアーの中で、施設で働いている職員の方たちやストリートエデュケーターの方たちを、私はすごく尊敬した。政治が変わらないとどうしようもない現実があり、現状を自分たちで変えていくことは非常に難しいのに、それ以上に子どもたちのことを考えて真摯に向き合っていた。

 このツアーは、私にとって、自分の生活以外の現状やこれからの将来を考える、とてもいい機会になった。残りの大学生活で自分にできることには、どんどんチャレンジしていきたいと思った。

杉野かなえ(大学生)
 メキシコですごした2週間弱は、貴重で有意義な時間でした。子どもたちとの活動や各施設の見学といった主なプログラム以外にも、現地で誕生日を祝っていただいたり、熱を出したり、台風の影響で飛行機が欠航になったりと、挙げればきりがないほどに内容てんこ盛りのツアーだったと思います。

 個人的な話になりますが、私は今年度、本来であれば4年生になる大学を休学しています。休学に至った経緯は割愛しますが、3年生が終わる頃の私は、いつも何かに追われているような気がして心身ともに疲れ果てており、「とにかく何もしたくない、何かしたくなるまで何もしない」と言っていました。学校から離れてしばらく経ち、久しぶりに「何かしたい」と活動することに意欲を感じることができたのが、このツアーに参加しようと決意したときでした。そういう意味でも、このツアーは私にとって、とても大きな意味を持つものになりました。

 現地でまず驚いたのは地下鉄の様子です。「早く乗らないと/降りないとドアが閉まる」の「早く」が冗談じゃなく「早く」て、おもしろいなと思いながらもドキドキしました。発車も停車もとにかくどこかに掴まっていないと立っていられないような荒さで、よろけて倒れそうになったところを傍にいた人が助けてくださったこともありました。背景がまったく異なるので単純に比較するのもおかしな話ですが、日本では大体、「よろけたら、ぶつかりそうになって(あるいはぶつかって)謝る」までがワンセットなので、「よろけたところを助けてもらってお礼を言う」流れは、新鮮かつ個人的に好ましいものでした。車内では、突然音楽が流れ始めたり、人が歌ったりギターを弾いたり、お菓子を売ったり、日本国内では都会でも田舎でも見られない光景が広がっていました。日が暮れる頃になって、地下鉄が帰宅ラッシュで大混雑していたときに、「都市部に稼ぎに来ている人たちが帰っていく」という話を伺いました。遠方から働きに出てくる貧困層の人々にとって、地下鉄やバスといった公共交通機関の運賃が安価なことは、ひとつのポイントになっていることを感じました。

 施設で一緒に活動した子どもたちは、みんな天真爛漫で、私たちに興味を持ち、言葉がじゅうぶん伝わらないにもかかわらず、交流を図ろうとしていました。自分としては、折り紙が子どもたちに好評だったことが驚きでした。以前、別の国で折り紙をしたときには、反応が微妙だったからです。喜んでもらえたのは単純に嬉しいことでした。ある男の子はハートが気に入ったようで、何度も何度も「教えて!」と私の肩を叩いていました。私はスペイン語がまったくわからなかったので、言葉を使ったコミュニケーションは、挨拶や簡単な自己紹介を除いて、すべて通訳していただくことになりましたが、子どもたちが全身で何かを伝えようとしている姿に、自分も真摯に向き合わなくては、と考えさせられました。期間中に私が覚えたスペイン語は、挨拶と1から5までの数字くらいですが、特に年少の子どもたちとは身体を動かす遊びを通して仲良くなることができました。

 路上からデイセンターに通う少年たちと家族について話し合ったとき、私たちとはまったく違う人生を送ってきたことが、明確にわかった気がしました。訪問する先々で様々なお話を伺い、彼らを取り巻く環境について想像してはいましたが、彼らの言葉を通して見えたバックグラウンドが、あまりにも生々しい温度を持っていて、戸惑ってしまいました。楽しそうに活動している姿は、あくまで彼らの一部でしかないことを、まざまざと見せつけられたように思ったのです。そして、改めて、私には彼らの気持ちを真に理解することはできないのだと感じ、涙が出そうでした。同時に、理解できなくても知ることをやめてはならない、見なかったことにしてはいけないと強く感じました。

 子どもは大人が守らなければならないけれど、その大人が子どもの頃に守ってもらえなかったとしたら、そのまま大きくなってしまったとしたら、身体だけが大きくなった子どもと同じなのだろうと思います。大人になりきれないまま、でも子どもではなくなってしまうことは、本人にとっても、またその先の子どもにとっても、避けるべきことです。少なくとも、今施設で活動ができている子どもたちには、施設での活動を通して、あるいは活動をきっかけにして、彼らなりに健やかに成長してほしいと思いました。そして、未だ路上での生活をしている子どもたちにも、活動の輪を広げていくことができればと思いました。

 今回、渡航前に取り立てて下準備などはしていませんでした。というのも、自分の中でこのツアーの第一目標は、子どもたちと真正面からコミュニケーションを取ることだったからです。私の性格からして、あまりに知識ばかりを詰めていくと、先入観 が邪魔をしてありのままの姿が見えないかもしれないという懸念がありました。結果的に、子どもたちと笑い合うことができてよかったと思います。言葉についてはもう少し努力すればよかったなと反省しています。

 ツアーを通して、実に多くの素敵な出会いがありました。大学の同期に再会したり、同郷の同期を見つけたりというおもしろい経験もできました。今回、メキシコで見て聞いて感じたことは、きれいに仕舞っておくのではなく、発信して、これから先、何らかの形で役立てていきたいと思います。

 最後になりますが、引率してくださった工藤さん、篠田さん、濃密な時間を共にした仲間たちへ、感謝を伝えたいと思います。本当にありがとうございました。

(2019年10月発行のニュースレターNo297より)

日本で見過ごされる子どもの性被害

共同代表 野口和恵 

「私が裁判を起こしたのは、自分と同じような目にあう子どもが出てほしくないという思いからです」。 
2019年4月26日、東京地方裁判所。原告の石田郁子さん(41歳)の意見陳述は、そんな言葉から始まった。石田さんは26年前、札幌市の公立中学校に通う中学生だった。卒業式の前日、教師から美術展に誘われ、同行する。教師は石田さんを自宅に連れ帰り、わいせつ行為に及んだ。教師は卒業後もたびたび石田さんを呼び出し、性暴力はエスカレートしていった。混乱する石田さんに教師は「好きだからこうするのだ」といいきかせたという。それまで異性との交際経験がなく、教師はまちがったことをするはずがないと信じていた石田さんは、もやもやした気持ちを抱えながらも強く抵抗できず、性被害は19歳になるまで続いた。
 
 石田さんが当時のことを客観的に認識できるようになったのは、30代後半になってからだ。児童養護施設で起きた性暴力事件の裁判の傍聴したのをきっかけに、自分と教師の間で起きていたことも性暴力だったと気づく。

 現在も札幌市の中学校で教員をしている加害者の教師を呼び出し、当時のことを事実確認したところ、教師はあっさりと自分がしたことを認め、謝罪の言葉も口にしたという。石田さんはその会話の音声記録を札幌市教育委員会に提出し、教員の懲戒処分を求めたが、後に加害教師は事実を否定し、訴えは退けられた。教育委員会とやりとりをするなかで、石田さんはPTSDを発症し、フラッシュバック症状に悩まされるようになった。

 思うように仕事をすることもできなくなり、経済的にも苦しいなかで、石田さんは教師と札幌市を提訴し、この問題を知ってほしいと、マスコミの前にも実名と顔を出して訴えた。石田さんの会見を伝えるニュースサイトには、「自分も同じような経験をした」と共感するコメントが多数寄せられた。

 だが、司法は無情ともいえる判決を下す。民法では被害が起きてから20年以上経過すると、損害賠償を起こす権利を失う「除斥期間」が定められている。東京地方裁判所は石田さんのケースは除斥期間経過にあたるとして、2019年8月23日、「請求棄却」の判決を下した。石田さん側は、当時未成年だった石田さんは被害を認識できておらず、PTSDを発症した3年前から、除 2019年9月6日司法記者クラブで記者会見する 石田さん。 9 斥期間が始まるはずだと訴えてきたが、裁判官は「大学生の時点で性的行為の意味はわかっていたはずだ」との見解を示した。

 「15歳のときから性暴力を受けつづけていたので、健全な男女関係の感覚が身についていなかった。一般的な年齢でくくらないでほしかった。性行為の意味をわかる、というのと、性的暴力だと認識できるのは別の問題」。石田さんは裁判後、傍聴人の前で苦しい胸中を語った。

 臨床心理士の齋藤梓さんによると、子どもの性暴力被害は稀ではないものの、加害者から口止めされるなどして、大人に言わないために明るみに出ないことが多いという。石田さんのように、被害から数十年経ってからもフラッシュバックが起こることもめずらしくない。

 石田さんのように、性被害を受け、精神的な苦しみを抱えながら裁判を起こせる人はごく一部だ。また女性たちが決死の覚悟を持って訴えても、性被害の裁判は不起訴が相次いでいるのが現在の日本の実情でもある。今年3月には、家庭内で実の娘に虐待をくりかえしたうえ、性行為を強要していた父親が無罪になるという判決も出た。

 石田さんは、2019年9月6日に東京高等裁判所に控訴した。精神的に経済的にも苦しい石田さんを支えるため、傍聴人の間から支援団体が立ち上がった。 一審の裁判傍聴を通してきた私は、石田さんの裁判は、同じような経験を持つ女性たちや、今学校に通う子どものための闘いでもあると感じている。石田さんを支える会では裁判費用のカンパや、裁判経過の情報発信などをおこなっている。一人でも多くの方にこの裁判を見守っていただけたらと思う。

◆支援団体 「札幌市中学教諭性暴力事件の被害者を支える会」
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(2019年9月発行のニュースレターNo296より)