NGO「バハイ・トゥルヤン(Bahay Tuluyan)滞在 レポート前編

  星島菜々子
 年の暮れ間際の12月30日。フィリピンでの8ヶ月の滞在を終え、日本に帰国しました。すぐに年末年始が訪れ、さらには就活も始めたため、慌ただしさに飲まれてしまい、今ではフィリピンに滞在したことを幻のように感じています。ラッキーなことに、日々のあれこれを記録したノートが3冊ほどあるので、それを参考にフィリピンでの生活を振り返りたいと思います。

 私は、大学4年次を休学して8ヶ月弱、フィリピンに滞在していました。最初の3ヶ月を語学学校の生徒、次の4ヶ月を語学学校のインターン、最後の約2ヶ月を現地NGOのボランティア、と様々な活動を行いました。

 この記事では、主にNGO「バハイ・トゥルヤン(Bahay Tuluyan)」でのボランティア体験についてお話ししていきます。まず、この団体について軽く説明を。

 バハイ・トゥルヤンは、フィリピンに住む子どもたちを、児童虐待や児童労働などの様々な問題から守る、子どもの人権擁護団体です。主な活動は、

1.  家庭での生活で何らかの危険が及ぶ可能性のある子どもたちを保護し、運営するシェルターで一定期間、養育すること。
2.  その子どもたちを、なるべく早く家庭に戻すための両親へのサポートをすること(就労支援や住居探しの支援など)。
3.  マニラのスラム街に住む子どもたちのもとへ赴き、アクティビティやフィーディング(給食)活動を行うこと(後述のモーバイル・ユニット)             

 そのほかにも、ソーシャルビジネスを展開するなど、活動は多岐に渡ります。

 私がバハイ・トゥルヤンでのボランティアを決意したのは、フィリピンに渡航した後でした。所属していた語学学校がとても素敵なところで、「語学を学ぶだけではなく、学んだ英語を生かして、フィリピンの現状や社会問題を知り、アクションできる人になろう!」という考えを持っていたので、いろんな現場に足を運ぶ機会がありました。が、その時は現場で生の声を聞いたものの、イマイチ実態が掴めず、想像ができない=強く関心を持てない、という状態でした。しかし、滞在4ヶ月程でやっとフィリピンの全体像が見え、ここで暮らしている人々の様子がまざまざと想像できるようになりました。フィリピンの貧困層が苦しんでいる背景には、日本の影響があるかもしれないということを知り、それに気づいて全力でフィリピンの課題解決に取り組んでいるフィリピン人、日本人などの姿を見て、もっと知りたい、微力ながら私も何かをしたいと思うようになりました。

 もともと興味のあった児童福祉分野にフォーカスし、様々な団体に直接話を伺うなかで、バハイ・トゥルヤンに出会いました。理念やプロジェクトに深く共感したのは勿論ですが、なかでも印象に残ったのは、「私たちは、バハイ・トゥルヤンという団体が無くなることを願って活動をしている」という言葉でした。この言葉のおかげで、私は活動を始めることを決意できました。

 さて、11月初旬からマニラ市マラテにあるバハイ・トゥルヤン・マニラで活動をすることになり、隣接するマカバタ・ゲストハウス(バハイ・トゥルヤンに関わる青年たちの職業訓練の場を兼ねた宿泊施設)での暮らしがスタート。初めの頃は、とにかく施設での生活に慣れることから始めました。朝8時半に行くと、既に大きい子は学校に行き、小さい子は皆で遊んでいます。私は絵を描くのが好きなので、距離を縮めようと絵を描いていると…「すごい!エルサとアナ描いて!」「恐竜描いて!」などのリクエストが。私が持っている4色ボールペンが珍しかったのか、それを使いたいと毎日子どもたちは取り合いをしていました。

 日によっては施設の先生が、体を使ったアクティビティや施設の外でも安全に生きていくためのワークショップを行います。例えば、横断歩道の渡り方。「青・赤・黄の時はどうするんだっけ?と確認した後、みんなで手を繋いで実際に施設の外を歩いてみます。学校で教わるような勉強ではなく、子どもの将来を考えた、生活に生かせるアクティビティ。素晴らしい内容ですよね!

 この時間で一番好きだったのが、アクティビティの前に必ずうたう歌。「あなたの名前はHappy nameだ!」という歌詞です。歌の中で、一人ひとりの名前を呼び、指名された子は立ってダンスを披露します。名前を呼んで褒め称えるのは、その子の存在を肯定しているかのようで、とても大切なプロセスだと思います。バハイ・トゥルヤンのプログラムは、子どもの精神面・体力面・知力など、あらゆることを考慮した素晴らしいものなのです。

 そして、ランチタイム。子どもたち、スタッフみんなでご飯を食べた後は、お昼寝の時間です。12時半頃から3時頃までみんなよーく眠ります。寝つきの悪い子も沢山いたので、私は毎日彼らの足や顔のマッサージを。そんな機会はあまり無いからなのか、とても嬉しそうで、コロッと寝ついていた子どもたちが、本当に可愛かったです。「やって!」と直接は言わないのですが、私の近くに来て、目で「マッサージして欲しい…」と訴えかけてくる子どもが沢山いました。それに応えるべく、毎日全力でマッサージしていました。笑

 このように施設で子どもたちと遊び、世話をするのと同時に、バハイ・トゥルヤンのメインプロジェクトでもある「モバイル・ユニット」の活動にも携わりました。モバイル・ユニットは、マニラにある3つの場所(トンド、キアポ、デルパン)に住む子ど もたち向けのアウトリーチプログラムです。毎週火・水・木と、異なる目的地に大きい専用のバンで向かいます。

 その3カ所は、マニラのなかでも最貧困地域。いわゆるスラム街です。行き場のないホームレスが沢山おり、彼らの多くはゴミでできたゴミ山からリサイクルできるモノを拾い、それを売って生計を立てています。そこに住む子どもたちは、栄養失調や児童労働・虐待に巻き込まれる確率が高く、外部の大人の助けを必要としている子が多くいます。ストリートで住み働かざるを得ない彼らの権利を最大限に尊重し、少しでも彼らの生活が良くなるよう、自分自身をどうやって守るか?を教えることが、モバイル・ユニットの活動目的です。

 なかでも一番印象的だったのは、「パーソナル・スペース」に関するプログラム。性暴力や若年妊娠を防ぐために行われていました。高学年の子どもたちには、体の絵の書かれたプリントを配り、自分だけが触ってもいい所とその他を色鉛筆で区別させ、理解を促し、小さい子どもたちにはバハイ・トゥルヤン特製の紙芝居で面白おかしく丁寧に教えていきます。しっかりと向き合う子どもたちの姿が、今でも目に浮かびます。

 そして、このプロジェクトの最も素晴らしいところは、一連の流れがユース(14歳~22歳)によって運営されている点です。バハイ・トゥルヤンは「チャイルド・トゥー・チャイルド・アプローチ(Child to Child Approach)」という理念を大切にしているため、バハイ・トゥルヤン の活動に参加したいユースがファシリテーター(活動進行役)としてプロジェクトの進行をするのです。一生懸命準備をしたり、紙芝居を読んだり、という姿に、私は毎回感動していました。なぜこんなに他人のために一生懸命になれるのだろう…。

 子どもの頃は、ベネフィシャリー(受益者)として参加し、その後はファシリテーターになったという子が驚くほど沢山おり、「誰かからもらった愛を次の世代に」という意志の強い団体だと感じました。

 バハイ・トゥルヤンに関わる前にも、スラムエリアのスタディツアーなどに参加はしていましたが、実際になかに入り込み、住んでいる人たちと接することは全くなく、いわゆるスラム街に足を踏み入れるのは初めてでした。

 特にトンド地区の一部エリアは、想像を絶する場所で、地面はゴミで見えなくなり、あちらこちらにゴミの山が。ある住民たちは、数年前に火事の起きた石炭工場を改造して住んでいました。なかに入ると木材や布で仕切られた「部屋」が沢山ひしめき合っており、何家族もがその場を住まいとしています。

 スラムに住まない私からすれば、驚き、少し怖く思うような場所で生活している人が、沢山いること。そこに住む人たちはとても温かく、訪れると必ず「やあ、お名前は?」と挨拶をしてくれること。子どもたちはとっても元気で、友達と思い切り遊び、きょうだいの面倒をよく見る素敵な子たちであること。それでもやはり生活は苦しく、家族と離れて暮らさなければいけない子どもが沢山いること。様々な発見がありました。

 現地の人によって運営されているNGOで働いたからこそ、こんなにも貴重な体験ができたのだと思います。バハイ・トゥルヤンには感謝の気持ちでいっぱいです。

(2020年2月発行のニュースレターNo301より)

つながりの生まれる場/クリスマスパーティに参加して

 運営委員・黒田夏香
  共同代表の工藤律子さんからお誘いを受け、また新しいつながりを求めて参加しま した。この最大の目的は、十分に達成されました。これからことあるごとに、皆様と 関わっていければと思います。   
 パーティの内容に入る前に、会場である「がんばれ!子供村」について一言。部屋 のポスターに書いてある「NPO法人やボランティア団体向けに会議室を無料で貸してい る」という文を読んだとき、感銘を受けました。「場所」というのは、先述のような 組織にとって、活動をするうえで大切な要素のひとつなので、このような方針を持っ た場所の提供者がこれから増えていくことを願ってやみません。 
 今回が、「ストリートチルドレンを考える会」のイベントへの初参加でしたが、主 催者の方々は皆さん親しみやすい方で、何の緊張感も持たずに自然体のままパーティ に参加できました。このような開放的な雰囲気を持っているからこそ、様々な年齢、 様々なバックグラウンドを持った方が参加し、一方で、何か強い芯を持った方々の集 まりになれたのだと思います。ほかの参加者の方々も、みな思い思いに有意義な時間 を過ごされたことと想像します。
   今回初めて存在を知り、初めてお会いし、(当然これも知らなかったのですが)学 部は違いますがスペイン・バルセロナの大学院の先輩でもある宇野和美さんが邦訳さ れた4冊での絵本シリーズ「あしたのための本」は、絵本でありながら、だれもが読 んで心動かされる可能性がある作品だと思いました。このシリーズの一冊、「格差社 会はどこから?」を、宇野さん自らがパーティの冒頭に朗読してくださり、この会の 核の部分を明確に感じ取ることができました。
 ほかの3冊も読みたいと思いましたが、今回、所持金が足りず、2冊しか買えませ んでしたので、次回、残りの2冊を買おうと思います。
   まじめな部分も持ちながら、楽しいこともしようというのが、この会の特徴の一つ だと思います。少し頭を使った後は、体を動かそうということで、メキシコの「お菓 子が入ったくす玉割り」大会に入りました。ただ遊ぶのではなく、くす玉割りを行う 前に、この遊びがどのような経緯でできたのかを、メキシコ出身のシルビアさんから 説明してもらいました。もともと、罪や煩悩(この場合、お菓子)が入ったくす玉を 破ることで、神に対し、私たちはそれらに打ち勝ちます、と示す行事だったそうで す。その意味をかみしめながら(?)、お菓子という「煩悩」が入ったくす玉を一人 ひとり、安全のためにテープを巻いたスキーのストックで、3回ずつ打っていきまし た。ちょうどひとまわりした時にくす玉が割れて、お菓子が撒かれ、参加した4歳児 とのお菓子争奪戦を繰り広げることになりました。
   食事は、手作りで、この会が特に深くかかわっているフィリピンとメキシコを中心 とした料理をいただきました。どれも非常においしく、特に、パンやトルティージャ にのせて食べるアボカドをつぶした料理Guacamoleは、和風のアレンジでゆずの香りが 効いていて、個人的には一番好きな味でした。食べながら話しながらの2時間半は、 あっという間にすぎてしまいました。本当に幸せな時間でした。パンも持ち帰らせて いただいて、感謝しかありません。ありがとうございました。

(2020年1月発行のニュースレターNo300より)