スペイン/知識よりも人間関係が大切



〜マドリードで出会った楽しい公立小学校〜

工藤律子(ジャーナリスト)
「私は今、マドリード市のバジェカスにある自閉症の子どもが5人通う小学校で、時間銀行を準備しているの。え?見に来たい?もちろん歓迎するわ!」

日本でいうLINEのようなスマートフォンのチャットシステムを使って、マイテ先生がそうメッセージを返してくれた。2年前にマドリードの郊外にある町、リバス・バシアマドリードの中学校で、「時間銀行」をやっていた先生だ。彼女はもともと心理教育学(日本でいう「教育心理学」)が専門で、障がいをもつ子どもたちの支援を中心とする教育を担当している。そのマイテ先生が、配属先の学校で夢中になって実施しているのが、「時間銀行」だ。

「時間銀行」について詳しく知りたい方は、拙著『雇用なしで生きる』(岩波書店)を読んででいただけるとうれしい。「時間銀行」とは、簡単に言えば、お金ではなく、時間を交換単位として、サービスのやりとりをして、人と人とのつながりを生み出す仕組みだ。

例えば、私が「考える会」時間銀行の運営役だとしよう。私は「考える会」時間銀行に参加したい人たちに、それぞれが得意なこと、ひとのためにできることを登録してもらう。英語を教える、PCをなおす、弁当をつくる、ベビーシッターをする、マッサージをする、犬の散歩をする、引っ越しの手伝いをする、などなど。そして、この時間銀行への参加者が自分の必要なサービスを必要な時に、それが「できる」と登録している人に提供してもらえるよう、とりもつ役をする。すると、AさんはPCが壊れたので、Bさんに修理を依頼。Bさんは子どもをおいて夫婦で映画を観に出かけたいから、Dさんにベビーシッターを頼み、そのDさんも遠足の弁当を創るのが苦手なので、ある日Cさんにそれを依頼、という具合で、サービスの交換が多方向に起きる。そのお礼を、すべて「時間」で支払うようにするのだ。つまり、サービスを依頼した人は、自分の時間預金からサービスを提供してくれた相手に1時間かかったら1時間、2時間なら2時間と、互いの合意のうえで、支払う。提供した人は、もらった時間を預金し、自分が必要なサービスを頼む時に使う。

この仕組みを学校で活かす場合、時間を貯めたり使ったりすることは重視されない。それよりも、お金やものではなく、自分の時間を使って、誰かのために何かをする、ということが大事になってくる。時間銀行は、「場」に合わせて改良できるわけだ。

中学校では、マイテ先生の発案で、子どもたちは「自分の得意なことと時間を使って、誰かのために何かする」企画を、いろいろと考えて実行した。数学が得意な子は、自分の授業を休んで(むろん先生の許可を得て)数学問題が解けない子どもたちに1時間、一対一で教えていた。粘土細工が得意な少年は、30分ある午前中の休憩時間に、希望者を集めて、ホビット人形の作り方を指導していた。どの活動も、教える側と教えられる側があるようで、実は「互いに学び合う」ものになっていた。なぜなら、人に何かを教えるという行為からは、自分も多くを学ぶからだ。そうやって、人は皆、何かしら人の役に立つ術を持っており、また苦手なことや困ったことがあっても、人との繋がりさえあれば、お金がなくても問題を解決していくことは可能だと学んでいた。

では、自閉症の子どもたちがいる小学校では、どのような取り組みをしようとしているのだろう。私はとても興味をひかれた。そもそも、自閉症の子どもが5人いる公立小学校って、何か特別な学校なのだろうか。それも気になる。

スペイン取材の最終日にあたる5月17日、私たちはマドリード市の南東の端にある地区、バジェカスのフランシスコ・ファトウ小学校を訪ねた。門の前まで来ると、外壁にとてもカラフルな絵が描かれているのが目にとびこんできた。校舎に入ると、さらにビックリ。壁も階段もとにかくどこもかしこも、子どもたちの絵で一杯なのだ。まるで毎日がお祭りのよう。

「よく来てくれたわ!」と笑顔で迎えてくれるマイテ先生は、ここでは「オリエンテーター」という仕事をしている。学校の運営や障がいを持つ児童への支援に関して、教員や保護者に様々なアドバイスや提案をする役職らしい。

「この学校は、各地域の公立小学校の間で最低一校は確保されることになっている、自閉症の子どもを優先的に受け入れる学校なの。もちろん、障がいのない一般の子どもが大多数で、またほかの障がいを持つ子もいるんだけど(ここには31人)、かなり大変な自閉症の子どもにも普通の教室で勉強してもらえるように支援する、という役割も持つってわけ」

説明によると、マドリード州では各地域の公立小・中学校の中に、普通クラスのみの学校、特別な教育支援や言語聴覚支援の専門家のサポートがあれば普通教室で学べる障がい児がいる学校、それよりももう少し大変な障がいをもつ子どもが1日最大9時間、特別な支援が受けられる教室にいる(残りの時間は普通の教室で勉強)学校の3パターンあり、ここはその3つめのパターンの学校だという。このどれにも通うのが難しい障がいを持つ子どもは、そうした子どもたち対象の特別な学校へ行く。ちなみに、3パターン目の学校にも、2種類あるそうで、一つはこの「自閉症の子ども」を優先して受け入れる学校、もう一つは聴覚障がいを持つ子どもを優先している学校だ。

フランシスコ・ファトウ小学校に通う自閉症の子どもたち5人は、それぞれの症状に合わせて、1日最低6時間から最高9時間、「虹の教室」という名がついた特別教室で過ごす。が、それ以外の時間は、普通教室でクラスメートと一緒に学ぶ。また、1日1回、午前中に設けられた30分の休み時間の前には、クラスメートが毎日交代で一人、10分だけ早く教室を抜け出して、虹の教室へ来る。そこで専門の教員と補助員が企画する様々な遊びに、ともに取り組む。そうやって、自閉症の子どもが理解しやすい視覚的な教材が並ぶ空間で一緒にすごすことで、皆が「変わったクラスメート」のことをよりよく理解できるようになるという。

ここで実施しようとしている時間銀行は、「多様な仲間が互いに助け合えば何でも解決できる」ということを肌で感じてもらうためのもの、とマイテ先生は言う。

「いまはまだ準備段階なんだけれど、要は、時間銀行を通して、一人ひとりが皆それぞれのできることと、苦手なことを認識し、それを補い合う精神を育みたいの」

自閉症の子のひとり、パブロくん(8歳)がいる教室を訪ねると、壁にパズルのピースの形に切り抜かれた紙が30枚ほど貼られていた。それぞれのピースには、子ども一人ひとりが、その半分に自分の得意なこと、もう半分に苦手なことを、絵や文字でかいている。

「このピースをうまく組み合わせ、皆で力を合わせれば解決できないことなどない、ということを時間をかけて学んで行くつもりよ」と、マイテ先生が微笑む。

パブロくんのクラスは、28人が5、6人のチームに分かれて机を向かい合わせて座っている。聞けば、どのクラスもほとんどそうだという。時間銀行の精神同様に、助け合いがモットーなのだ。パブロくんのチームには、パブロくんのことをよく理解している友だちが数人いて、彼が困っていると助け舟を出す。特に、隣りの席にいるフェルナンドくんは、良きパートナーだ。

「フェルナンドは、とても貧しい母子家庭の子で、きょうだいが4人いるんだけど、皆異なる父親を持つという複雑な事情を抱えているの。暴力や育児放棄が激しい、とても大変な境遇で。でも彼は、ほんとうに優しい子で、パブロのことをいつも気にかけているわ。彼にとって、学校は自分が自分に誇りを持って、安心していられる唯一の居場所なんでしょうね」 マイテ先生が、少年の事情を教えてくれる。

この日の授業は、まず3人の子どもが、それぞれに自分のこれまでの人生の中で、特別な出来事を画用紙にまとめて紹介することから始まった。毎日、順番にやっているようだ。

最初の2人がいろいろと書きこんだ紙を手に発表をすると、担任のラウラ先生が、「質問はあるかな?」と子どもたちに声をかける。と、1人か2人が手を挙げた。そしていよいよ、パブロくんの番だ。

モジモジしている彼に、フェルナンドくんが何やら話しかけ、前へ出るよう促す。ラウラ先生も、皆の注目を集めるように声をかけ、パブロくんの手をとり、彼が赤い画用紙にたくさんの写真を貼り付けて作った、「人生紹介」を皆に見せる。

「さあ、パブロ、まずこの写真の話をしてちょうだい。このおもしろい格好の子は誰?」

なかなかはっきりと話さない少年を、先生とクラスメートが盛り上げる。そのうちに、パブロくんも自分から説明をするようになってきた。

一通りの話が終わると、先生がまた「質問はある?」と言う。すると、さっきまでとは打って変わって、5人も6人もがサッと手を挙げた。

「パブロ、その写真に写っている子のどっちが君?」

「水泳はいつからできるの?」

「そこへ行ったのは、何歳の時?」

次々と質問が出る。ずいぶんと人気者だ。

授業のあとでマイテ先生が、あるエピソードを話してくれた。

「以前、時間銀行のためのパズルピースを作る時に、子どもたちがそれぞれ、自分の得意なことを言っていったんです。そうしたら、パブロは突然泣き出して、僕は何もできない!と叫んで、机の下に隠れました。すると、先生がパブロのできることを皆に尋ね、大勢がいろいろな長所を挙げました。そうしてパブロは、立ち直りました。それ以来、子どもたちは、パブロに話しかけることをとても大切にしているんです」

なるほど。今の教室の姿は、障がいを含め、皆が互いを知り合うなかで生まれたものだったのだ。

授業の後、担任のラウラ先生に、クラスで大切にしていることを聞いてみた。

「皆それぞれにできることとできないことがあるんですが、それをわかったうえで、助け合うということです。一つのチームには成績の良い子、悪い子、落ち着きのある子、騒々しい子など、さまざまな子がいます。そんな子どもたちが力を合わせて問題を解決していく。授業ではいつも、そうしています。子どもたちにとって、学校で学べる最も大切なことは、知識ではなく、社会的なもの、つまり人間関係だからです」

子どもたちの30分休憩の時間、先生たちも、学校の食堂でコーヒーとオープンサンドやクッキーを楽しみながら、しばし雑談を楽しんでいた。スペインでは、学校は大抵、朝9時ごろから午後2時ごろまでで、先生たちも午後3時、4時には帰宅する。子どももおとなも、学校と地域、家庭、あるゆる場での人間関係を大切にしている。それが、子どもの頃から学校で学んでいる価値観だ。そこには、多様な人々のつながりで豊かな社会を築こうという意志が感じられる。

今の日本に最も欠けているものを、見たような気がした。      

(2017年5月発行のニュースレターNo268より)

ジュリアン が NHKで紹介 されました

※会員の有志で奨学金支援をしている、マニラの墓地に暮らす少女・ジュリアンがんばりが、4/3NHK「ニュースシブ5時」(4:50-6:10PM)、BS国際報道で放送されました。番組を見た会員の感想を紹介します。

瀬尾真志

本を読み、写真を見て、旅に出る

『マラス暴力に支配される子どもたち』を読み、外国人記者クラブで写真展《墓地に暮らす子どもたち》を見た。長くストリートチルドレンに寄り添っている工藤律子さんと篠田有史さんのレポートだった。いまこの子たちはどうしているのか。ストリートチルドレンへの関心が大きくなる。「マニラにいかなくては」「これはご縁だ」と、私は思った。今春、マニラ・ストリートチルドレンのスタディツアーに初参加した。

ツアー3日目の午後、私たち5名はジプニー(乗り合いタクシー)に揺られ、D地区の公営墓地へ向かった。マニラはどこへいっても子どもでいっぱい。墓地で子どもが元気に遊んでいた。途中でパン屋に立ち寄る。いつも工藤さんたちは、袋に菓子パンをいっぱい詰めて子どもたちに会いにいくのだ。

この墓地にはおよそ300家族、1500人暮らしていた。この8年間で6倍に増えたという。鉄の柵に囲まれた墓、積み上げられた石棺。貧しい人たちは親族を呼び寄せていた。ビニールシートや廃物を利用した家で、井戸水を汲み、炊事洗濯する。ちょうど夕飯の支度の時間で、あちこちで煮炊きの煙があがっていた。近くの電柱から盗電する。TVを見たり、インターネットゲームをしたりしている。墓石の間には、動物の骨や生活ごみがたまっている。歩くとしゃりしゃり音がした。お墓からお墓へ跳び移る。足元には十分注意がいる。踏み外すと大怪我をする。マンゴーの幹に階段が伸びる。木の茂みの中に家があった。

木の下のお墓にジュリアン(20)と母親フロリサ(38)弟カルロ(14)妹クラリス(12)らの家があった。工藤さんが1年ぶりの再会にハグする。「今度、ジュリアンがTVに出るのよ。私がインタビューするの」

この墓地には、「ドテルテ地区」と呼ばれるエリアがある。そこには「麻薬戦争」で殺された人々のお墓が増えているという。麻薬取引の容疑者となり、警察に睨まれ、簡単に貧しい家の父が殺される。大黒柱を失った家族の貧困がさらに加速する。悲しい連鎖を訊いた。

雨が降り出した。蚊が出てきた。帰りは電車で宿に帰る。ラッシュアワーに遭遇する。若い人の波。常夏の大都会、スーツを着ている人はいない。乗車率は東京の比ではない。おしくらまんじゅう状態だった。

ジュリアンを工藤さんがインタビュー

「放送は4月3日月曜日NHKのシブ5時」と、連絡があった。私は友人、家族、親戚に連絡した。どうしても路上生活者のくらしを知ってほしかった。私はその日、新宿にいた。3丁目のビックロ(家電衣料量販店)TV売り場にて、店員に事情を話す。60インチの大画面の前に折りたたみ椅子を出してくれた。私はリモコンを握り、放映を待った。買い物客は外国人ばかりだった。インドサリーの婦人、イスラム服の家族連れ、スーツケースを引くアジアのお客さん

5時半過ぎ、マニラレポートが始まった。ジュリアンは緊張している様子だが、落ち着いている。とても大人に映った。彼女が家の中を案内する。「私はここで寝ています」。本やノート、アルバム、お化粧品制服が映った。「NGOからの奨学金で短大に通っています」。工藤さんが初めてであった8年前、小学校での成績はトップクラスで、将来は先生になりたいと言っていた。「従妹の女の子は働きながら勉強ました。私も高校を卒業したら、墓地を出ていきたい、もっと別の場所で夢をかなえたいのです」。

ジュリアンは、高校1年のとき、クラスメイトの態度が変わったと感じた。どうしてあんな目にあったのかわからない。泣きたくなる毎日でした」。今、朝7時に起きて登校している。通勤ラッシュにもまれている。「将来、クルーズ船のシェフやホテルマンを目指すコースで学んでいます」。ジュリアンは、ここまで話すと、突然泣き出してしまった。

工藤さんは、ジュリアンになりかわって語っていた。「ジュリアンは、周囲との環境や感覚の違いに悩まされている。クラスメイトにわかってもらえない。まずは仕事を探して、墓地を出て、新たな生活を始めたい」「墓地にいる人びとは、それが普通だと思っている。外の世界との違いを考えない、気がつかない環境にいる。選択の余地を与えられない」

ジュリアンは勇気を出して、私たちに「こんな世界があるんだよ」と伝えてくれたのだ。

机の下で眠る

マニラから帰り、しばらく、私は勉強机の下に布団をひいて寝ていた。公園のバラックやトラックの車体の下で眠る子どもたちを、思い出していたのだ。家族のものはいぶかったが、説明はしなかった。夜中、机の板や脚に頭をぶつけて目を覚ます。敷居に頭をぶつけるのと同じくらい痛い。でもほっとする。安心する。子どものころ、かくれんぼして、押し入れの布団にくるまり眠りこんだ感じだ。

4月に入り、閉そく感が限界にきた。目の前はどうしようもない頑丈な楯。びくともしない壁。視界は絶望的だった。だか、ふと冷静に横を向く。丸まった靴下の玉が転がっていた。その先には漫画本を広げて眠る娘の顔。私は、身体をひねって机の下から抜けだした。まるでヤドカリが貝殻から引っ越しするように。我が人生は不動の壁に閉ざされていると思っていたが、前後左右はすっぽりと開いていた。ちょっと視点を変えるとひらけてくるのだ。「ジュリアン、頑張っていこう!

(2017年4月発行のニュースレターNo267より)