日本で見過ごされる子どもの性被害

共同代表 野口和恵 

「私が裁判を起こしたのは、自分と同じような目にあう子どもが出てほしくないという思いからです」。 
2019年4月26日、東京地方裁判所。原告の石田郁子さん(41歳)の意見陳述は、そんな言葉から始まった。石田さんは26年前、札幌市の公立中学校に通う中学生だった。卒業式の前日、教師から美術展に誘われ、同行する。教師は石田さんを自宅に連れ帰り、わいせつ行為に及んだ。教師は卒業後もたびたび石田さんを呼び出し、性暴力はエスカレートしていった。混乱する石田さんに教師は「好きだからこうするのだ」といいきかせたという。それまで異性との交際経験がなく、教師はまちがったことをするはずがないと信じていた石田さんは、もやもやした気持ちを抱えながらも強く抵抗できず、性被害は19歳になるまで続いた。
 
 石田さんが当時のことを客観的に認識できるようになったのは、30代後半になってからだ。児童養護施設で起きた性暴力事件の裁判の傍聴したのをきっかけに、自分と教師の間で起きていたことも性暴力だったと気づく。

 現在も札幌市の中学校で教員をしている加害者の教師を呼び出し、当時のことを事実確認したところ、教師はあっさりと自分がしたことを認め、謝罪の言葉も口にしたという。石田さんはその会話の音声記録を札幌市教育委員会に提出し、教員の懲戒処分を求めたが、後に加害教師は事実を否定し、訴えは退けられた。教育委員会とやりとりをするなかで、石田さんはPTSDを発症し、フラッシュバック症状に悩まされるようになった。

 思うように仕事をすることもできなくなり、経済的にも苦しいなかで、石田さんは教師と札幌市を提訴し、この問題を知ってほしいと、マスコミの前にも実名と顔を出して訴えた。石田さんの会見を伝えるニュースサイトには、「自分も同じような経験をした」と共感するコメントが多数寄せられた。

 だが、司法は無情ともいえる判決を下す。民法では被害が起きてから20年以上経過すると、損害賠償を起こす権利を失う「除斥期間」が定められている。東京地方裁判所は石田さんのケースは除斥期間経過にあたるとして、2019年8月23日、「請求棄却」の判決を下した。石田さん側は、当時未成年だった石田さんは被害を認識できておらず、PTSDを発症した3年前から、除 2019年9月6日司法記者クラブで記者会見する 石田さん。 9 斥期間が始まるはずだと訴えてきたが、裁判官は「大学生の時点で性的行為の意味はわかっていたはずだ」との見解を示した。

 「15歳のときから性暴力を受けつづけていたので、健全な男女関係の感覚が身についていなかった。一般的な年齢でくくらないでほしかった。性行為の意味をわかる、というのと、性的暴力だと認識できるのは別の問題」。石田さんは裁判後、傍聴人の前で苦しい胸中を語った。

 臨床心理士の齋藤梓さんによると、子どもの性暴力被害は稀ではないものの、加害者から口止めされるなどして、大人に言わないために明るみに出ないことが多いという。石田さんのように、被害から数十年経ってからもフラッシュバックが起こることもめずらしくない。

 石田さんのように、性被害を受け、精神的な苦しみを抱えながら裁判を起こせる人はごく一部だ。また女性たちが決死の覚悟を持って訴えても、性被害の裁判は不起訴が相次いでいるのが現在の日本の実情でもある。今年3月には、家庭内で実の娘に虐待をくりかえしたうえ、性行為を強要していた父親が無罪になるという判決も出た。

 石田さんは、2019年9月6日に東京高等裁判所に控訴した。精神的に経済的にも苦しい石田さんを支えるため、傍聴人の間から支援団体が立ち上がった。 一審の裁判傍聴を通してきた私は、石田さんの裁判は、同じような経験を持つ女性たちや、今学校に通う子どものための闘いでもあると感じている。石田さんを支える会では裁判費用のカンパや、裁判経過の情報発信などをおこなっている。一人でも多くの方にこの裁判を見守っていただけたらと思う。

◆支援団体 「札幌市中学教諭性暴力事件の被害者を支える会」
ホームページ https://schoolmetooo.wixsite.com/website カンパのご協力は下記からお願いします。
・(ゆうちょ銀行からの送金) ゆうちょ銀行 総合口座 記号 10120 番号 88543121
・(ゆうちょ銀行以外からの送金) ゆうちょ銀行 店名 〇一八 (読み:ゼロイチハチ) 店番 018 普通 8854312
・オンラインでのご寄付はpolcaで受けつけています。 https://polca.jp/projects/NYvhuj5dWr

(2019年9月発行のニュースレターNo296より)

『日本における移民問題を考える連続学習会』内容報告

 第1回  7月27日(土)外国人労働者の受け入れ政策と健康課題

ゲスト:「特定非営利活動法人シェア=国際保健協力市民の会」
 副代表理事 沢田貴志さん

●国内の外国労働者とは

 外国人労働者というと、「特定技能人材」のようなイメージを持つ方が多いかもしれない。日本が高度な専門的知識や技能を持つ「高度人材」を受け入れ始めたのは、1990年台半ばからだ。特に2000年代からは、専門技術を持つ日系人も増えている。このような高度人材は、技能があるかぎり何らかの職を得ることができる。

 2000年代から急に増えているのが、技能実習生で、最近はフィリピンやベトナム、ネパールなどのアジア出身の労働者が増加している。2年目からは働ける職種が限定されていたり、妊娠や病気などを理由に、職場から解雇され失踪するケースもしばしばある。加えて、日本でアルバイトに従事する留学生の人口も増えており、かなり厳しい環境で長時間労働を強いられている人も多い。一口に外国人労働者といっても、安定した職を持つ技能人材ではなく、技能実習生のような不安定な働き手が増加しているのが、現状だ。

●言語の壁と医療通訳の問題

外国人労働者は、日系外国人でも日本語がしゃべれない場合が多く、病気にかかってもきちんと治療を受けられないケースが多々ある。例えば、沢田さんのクリニックには、夜中に決まって胸が痛くなる患者が来たことがあるが、その人は逆流性食道炎だった。にもかかわらず、病院へ行っても言葉が通じないので病状を伝えられず、なかなか適切な治療を受けられなかった。その間に病気が悪化してしまう人もいる。

 米国では、病院に通訳を置くことが義務づけられている。しかし、日本では通訳のいる病院は、とても少ない。例えば、神奈川県の一部の病院には医療通訳制度があるが、これは例外的だ。外国人労働者の妻がビザを持っていない場合、妊娠時、日本では面倒をみきれないので、母国で出産するよう促すこともある。

 欧米では、移民を受け入れている国が多く、医療面でのケアの必要性がより理解されている。それに対して、日本は、外国人を労働力として受け入れるだけで、ケアはほとんどしない。せめてヨーロッパ並みのケアをしてほしいものだ。

 神奈川県の病院にいる通訳は、「外国籍県民かながわ会議」の要望で置かれるようになった。NPO・県・医師会が連携して、通訳制度を作ったのだ。現在は200人程度のボランティアが医療通訳をしている。とはいえ、今は英語や中国語くらいしか十分な対応ができる人数がいないため、 医療通訳の人材育成は今後、更に必要だ。病気の可能性がある労働者には、診察時に通訳をつけられるようになることが期待される。

●タイから日本に連れてこられた女性たち

 日本で働いているタイ人女性の中には、「人身取引」のルートで連れてこられた人がいる。農村出身の貧しい女性を集め、都会で働けば実家に多額の仕送りができると、リクルーターが諭して日本へ連れてくる。日本につくと、「おまえたちを日本に連れてくるのに多額の費用がかかっている。その借金を返せるまでは、こちらの指示に従って働いてもらう」と、地方へ連れて行かれ、そのままスナックで性労働を強いられる人が数万人いる。そのようなタイ人女性の多くは、シングルマザーになる。同様な形で連れてこられたタイ人男性は、工場で働かされることが多い。

 何年か日本で働き、ある程度日本語がうまくなると、警察に実情が知られるのを防ぐために、リクルーターは女性たちを解放する。そうして告発がないまま、性的搾取の被害に遭う人が今もいる。性労働を強いられた女性の中には、出産の際に、HIV観戦が判明した人もいる。

 外国人労働者を支援する医療制度は、まだまだ不十分だが、少しずつ整備が進められている。日本の社会福祉士は、外国人の医療をサポートしており、未払い医療費の補填制度(緊急医療を受けた外国人に年間2000万円の補助が出る)もある。

●技能実習生の問題

 技能実習生や日本語学校の留学生も企業で労働しているが、どこか体の具合が悪くなるとすぐにやめさせられてしまう。例えば、妊娠しただけでクビというケースも。結核にかかり、十分な治療を受けられないままクビになることもある。このような解雇は、本来、法律違反であるにもかかわらず、まかり通っている。十分な睡眠時間もとれずに労働を強いられるベトナムやネパールから実習生もいる。そのような人は、病院に行く時間を確保することさえできない。

 性労働のために連れてこられるタイ人女性と同様、日本人のエージェントが、現地で甘言たくみにアジア人留学生を日本に連れてくるルートがある。日本語が話せなくても、試験を受けずに日本語学校に入れると言って、リクルートする。この問題は人身売買の温床だと、米国政府が指摘している。

 日本政府は、多文化共生の推進プランとして、教育や医療、言語の支援を打ち出しているが、そもそも「多文化共生」という言葉がおかしい。米国では、同様の政策に「移民」という言葉を用いている。最近話題のSDGs(持続可能な開発目標)のにも、「誰でも安全な医療を経済的な負担なく受けられる社会」という目標がかかげられているが、これは外国人労働者を取り巻く医療の問題に、まさに当てはまる。現在の技能実習生の立場の弱さは、人権意識の低下とつながっている。せめて、日本人労働者と同じ待遇を保証すべきだ。また、外国人と日本人を分断し、問題を切り分けていると、最後は日本人自身の首を絞めることになるだろう。例えば、大手企業のサプライチェーン末端で技能実習生がないがしろにされていたら、その人権軽視は、企業全体のブランドイメージを落とすことにもなる。悪評が世界的に広まれば、国際競争から脱落してもおかしくない。外国人労働者の人権問題に、企業も真摯に目を向けるべきだ。

第2回  8月5日(土)日本で暮らす難民と外国にルーツを持つ若者支援

(1)「日本で暮らす難民の子どもたち」
ゲスト:難民支援協会(JAR)鶴木由美子さん

●難民支援協会(JAR)の活動

 「難民が新たな土地で安心して暮らせるよう支え、共に生きられる社会を実現する」というスローガンのもとで活動する難民支援協会(JRA)は、「支援」、「政策提言」、「広報」を、活動の軸にしている。職員数は、ボランティアやインターンも含めると約60人。インターンは学生の他、就職前の1年間を使う社会人も多い。

 ところで、「難民」という言葉は、「ネットカフェ難民」のように、「生活できない人」「働けない人」といった「○○できない人」というイメージで使われることが多い。しかし、“難民=refugee”という語義に立ち返ってみると、「避難民」「逃げてきた人」という意味で理解するべきであると、わかる。つまり、難民とは、「国境を越えて避難した人」という意味だ。

 メディアでは、よく「日本は難民受け入れの土壌を持っていない」と語られることが多いが、これは正しくない。日本はこれまで何十年、何百年も、例えば国内での災害避難者を支援する枠組みをつくってきたし、自立支援の取り組みもしてきた。そのような意味では、日本は避難民支援の力がある国だ。ところが、現実には、海外からの難民の受け入れは進んでいない。「民意がついてきていない」という逃げ口上も聞かれるが、問題は今まさに起きていることで、例えば10年後に取り組んでも遅い。

●難民になる理由

 ①人種、②民族・国籍、③宗教(マイノリティの宗教など)、④政治的意見(民主化運動に参加したなど)、⑤社会的集団(性的マイノリティなど)などを理由に、迫害され、難民になることがある。ほかには、戦争や地球温暖化による環境変化などが原因で、母国から逃げてくる人もいる。

●難民の数

難民の数は、世界で7000万人を超えている。日本にも大勢の人がたどり着き、住んでいる。日本における難民の数は、アムネスティ・インターナショナル・ジャパンで難民部門が立ち上げられた当初の100倍(約1~2万人)まで増えたものの、日本が依然として難民受け入れに積極的ではないのは、事実だ。日本で難民として暮らすには在留資格が必要だが、資格が出るのは難民申請者全体の0.2%程度。その他の大多数の人たちは、公的サービスにもアクセスできず就労もできない。

 故郷に帰れず、在留資格も得られない難民の中には、その日暮らしや民間団体の支援で暮らしている人もいる。

●難民が日本社会で直面する困難

 迫害から逃れてきた難民は、事前に行き先の国について知る余裕がない。日本語がわからず、文化や慣習も知らない。頼れる人もいないし、そもそも就労できない。ホームレスで暮らすしかない人が多数いる。ホームレスになっている女性の中には、性暴力の被害にあう人もいる。在留資格がおりない場合、医療費が自己負担になるため、医療にアクセスすることもできない。家族で逃げてきた場合は、子どもに教育を受けさせることも難しい。

 在留資格がおりなかった人やビザが切れてしまった人は、犯罪を犯した外国人が一時的に収容される施設に入れられてしまうリスクがある。たとえ在留資格が出ても、更新できず不法滞在者になってしまうこともある。

 将来の見通しが立たないなか、故郷に帰ることもできず、日本でサバイバルするしかない人が大勢いる。

 (2)「日本聖公会におけるカパティランの動き」 
 ゲスト:カパティラン(KAPATIRAN)牧野兼三さん、永瀬良子さん

●日本聖公会とカパティランについて

 日本聖公会は、「聖書」、「伝統」、「理性」を重視して活動している。また、「礼拝」、「伝導」、「奉仕」を、使命とする。神奈川県中郡大磯町の「エリザベスサンダーズ・ホーム」、東京都中央区本郷の「ぶどうの家」などの施設も運営している。「弱き者、小さき者の味方になれ」がモットーだ。

 カパティランは、1988年に設置された任意団体で、同時期に出稼ぎにきたカトリック教信者のフィリピン人たちが、礼拝できる場を望んだことから始まった。当初は、キリスト教に関わる活動のみ行なっていたが、社会問題の多様化・複雑化を背景に、現在は子どもや若者たちを支援する団体として活動している。支援対象は、海外にルーツを持つ子どもたちだ。ただし、必ずしも外国籍の子どもたちに限定しているわけではない。日本でも年間2万人ずつ、外国にルーツをもつ子ども(親のどちらかが外国人、など)が増えているからだ。

●子どもの抱える問題

 外国にルーツを持つ子どもたちの問題には、言葉の壁、基礎学力、いじめや不登校、親との関係の4つが、特に多い。日本語が得意でない子どもが、コミュニケーションで不自由することがある。基礎学力の点では、高校の進学率が約50%と、国内平均よりも低くなっている。外国にルーツがあることで、いじめにあったり不登校になったりする子どももいる。小さい頃は親を信頼していても、親が日本語や文化に不慣れなためにギャップが生まれ、大きくなるに連れて親への不信感を深める子どももいる。

 ただ、一番の問題は、アイデンティティ・クライシスだ。自分のルーツに関する悩みを持ってしまう。とはいえ、定住志向を持つ人が全体の6割程度おり、今後も日本で暮らしたいと、多くの子どもが考えている。

●カパティランの具体的活動

・ご飯会…毎月第3土曜に東京都中央区で、子どもたちやカパティランの活動への参加者が、一緒に食事をする。

・奨学金…在日外国人の子どもへの奨学金。

・サマーキャンプ…野尻湖湖畔にある「国際村」で遊ぶキャンプ。

・多文化共生ホームステイ…フィリピン・ルソン島北部のパルパラサンという村で、ホームステイ。そこは聖公会が活動している村で、寄宿制の学校で子どもが勉強している。一緒に勉強したり、現地の人の家にホームステイしたりする。

 [連続学習会参加者の声]                                        

宮崎武瑠(会社員)

 以前からお世話になっている(共同代表の)松本裕美さんに、外国人労働者の受け入れについての勉強会があるとの誘いを受けて、タイミングが良いと思い、参加を決心した。というのも、所属している会社で採用担当になったばかりで、ちょうど留学生の採用に関わっていたからである。留学生本人からは、日本語に不安がある等の話を聞いていたので、労働者を受け入れる側として、彼らが安心して働けるように知識を持たなければいけないと、ぼやっと考えていたのである。

 第1回の話では、国の制度の問題、医療を受ける権利のような人権に関わる問題への意識を強くした。第2回では、日本に暮らす難民の存在に、衝撃を受けた。なぜ、日本にいる難民についての報道があまりないのか、支援する団体(難民支援協会)の存在も広く知られていないのか。そういった疑問を持ち、命からがら逃げてきた人が、日本では難民としての認定を受けらずにいる現実を想像すると、もっと知りたいという気持ちを抱かずにはいられなかった。

 一企業で働く人間として、実務に関わる話と割り切っていた部分があったが、日本が抱える問題の中に「難民問題」が存在するということを十分に認識できていなかった自分の無知に、戦々恐々することとなった。日本に暮らす外国人の現状をもっと知るために、こうした勉強会にこれからも参加したいと思う。

T.O(会社員)   

 今回、友人の誘いで「日本における移民問題を考える連続学習会」に参加することにした。「友人の誘い」ということもあったが、何より自分が同じようなテーマで課題を持っていることが、参加の大きな理由だった。

 私は以前、短い期間だったが、カンボジアの小さな小さな大学で授業をしていた。日本語も少し教えつつ、中心内容は「今後のキャリア」をどう考えるかというものだった。なぜかというと、私の専門分野であったこともあるが、当時から技能実習生や、外国人を食い物にするような留学生制度の問題が顕在化していたからだ。

 「とりあえず日本に来れば良い」という甘言で、外国人を連れてくるが、実際は、ただの労働力や学生数の水増しのためたという、あまりにも身勝手なものだった。もちろんすべてがすべてそうではないし、その部分のみにフォーカスするのも良くないが、ただ日本が好き、あるいは希望を持ってきた人たちに、そのような仕打ちをする現状に対し、怒りを覚えていた。そして、彼らに自身のキャリアを自分たちで考え、判断するための力を持ってもらうためには何が必要なのか、そのために自分が微力ながらできることはないかと考えた末に、キャリア教育を行なっていた。

 今回の学習会への参加は、ニュースでも外国人が抱える問題について報道されることも多くなってきたので、状況は少しずつ改善されているのか、それともまだ課題は多いのかを知ることが、目的だった。結論として、まだ課題は山積していること、そして私が知っていた課題は、ほんの一面でしかないことを知った。 日本にいる外国の方々の医療や労働について、難民と呼ばれる方々の状況、そして外国にルーツを持つ子どもたち。外国人の方々が、肉体的にも精神的にも困難を抱える現状は、知っていたものより過酷だった。

 病院にも満足に行けず、生活の自立もままならない。帰属できるコミュニティもなく、心から安心できる場がない。自分が生まれたのは日本なのに、日本人と思われない。私がおよそ経験したことのない苦痛を、日々感じて生きる彼らの辛さは、想像を絶する。しかし、彼らの声や暮らしぶりは、私たちのもとに届かない。ふだんの生活の中では、こういった課題について話す機会はめったとない。結局のところ、自分さえ良ければどうでもよいという気持ちや、自分とは違う「外」の話だと考えているのか、もはや自分のことで手いっぱいで無意識に無視しているのかもしれない。

 いずれにせよ、この課題に真正面から当事者意識をもって取り組む意識は、個人・社会の中でまだまだ希薄である。では、その中で、私は何をするべきなのか。回収できる利益に目を向けなければならないビジネスの世界にどっぷりと漬かっている今、私にできることは何だろうか。学習会に参加し、久しぶりにカンボジアにいる友人たちと話す機会もあった自分は、今この問いに大いに迷わされている。


(2019年8月発行のニュースレターNo295より)