KAPATIRAN (カパティラン)多文化社会のなかの居場所づくり(後編)

聞き手・まとめ  運営委員・野口 和恵 

 KAPATIRAN(カパティラン)は、外国にルーツを持つ子どもの支援に取り組んでいる団体です。団体名の KAPATIRAN は、タガログ語で「姉妹愛・兄弟愛」を意味します。活動の様子について、事務局の永瀬良子さんにお話をお伺いしました。

Q: 毎月開催しているごはん会には、どんなねらいがありますか?

 カパティランに関わる学生、若者の多くはシングルマザーのお家で育ち、家族で食卓を囲んだり、お母さんと一緒にお料理をしたりする機会に恵まれていない人がとても多くいます。だから、買い物、準備、片づけまでを一緒に行い、家族の団らんをイメージしています。宗教やルーツの違いなどで食べるものが異なることも多々ありますが、それを受け入れ、一緒に食べる経験を大切にしています。

 新しい参加者が来ても、すぐに溶け込めるような雰囲気が、少しずつできてきています。学校のこと、アルバイトのこと、恋愛のことを楽しく話しながら、本当に困ったことがあった時、親や先生以外にも、安心して話せる第三者の大人の存在がいることを知ってもらう時間でもあります。

 中学生や高校生の受験の際には、勉強を見てもらう時間も設けたり、学校でのフィールドワークの発表などもしてもらっています。

 特定の子のルーツの食事を作る際には、お母さんも参加してもらうようにしています。学生や若者だけでなく、お母さんにとっての「居場所」にもなるように努めています。

Q: キャンプや多文化ホームステイはどうでしょうか?

 キャンプは夏休みに長野県野尻湖でおこないます。昨年、参加した子が、「長野県って初めて来た」と言っていました。

 生活に余裕のない家庭に育った学生たちには「旅行」という選択肢がないことに、恥ずかしながら私は初めて気づきました。

 ふだんは生活費や学費を賄うために、週6日もアルバイトをしている子が多くいますので、夏休みに2泊3日だけですが、存分にリラックスしてもらいます。食事はお当番を決めておこないますが、それ以外に決められた行程はまったくなく、自由に安心して泳いだり、釣りをしたり、ゴルフも楽しんだりしてもらいます。年上のお姉さんが年下の子の肩を抱き、静かにつらい話に耳を傾けている姿を目にする時には、心 打たれます。信頼してもいい仲間がいることを実感できるキャンプになるよう、祈りをもって企画しています。

 多文化ホームステイをおこなうフィリピンのバルバラサンは、ルソン島の北にある、聖公会の宣教拠点となっている村です。電気は通っていません。電話も電波ももちろんありません。蛇口をひねっても、水は出てきません。バルバラサンの村では、お金のない家の子どもを、家事を手伝うことを条件に、自分の家に無償で受け入れているそうです。そうした子どもたちは、行政からの援助を受けて高校に通っています。学齢期を越えた学生も多くいます。他人を受け入れる力、他人を愛する力がもともと備わっているような、本当に温かい人しかいない村です。

 見た目、名前、外国にルーツを持つ、ということだけで、多くの若者は差別や偏見、いじめを経験しています。言葉や生活スタイルの違う国で、1人1人ホームステイをし、自分を受け入れ、愛される経験をしてほしいと思っています。「あなたのことが大好き。とても大切に思っている」と、言葉で言っても伝わりません。自らの実体験で感じてほしいのです。誰かに愛された彼らに、人を愛する、許す、受け入れる力を持ってほしいという希望を持って計画しています。

 カパティランの奨学生はとても優秀です。多文化共生を実現する社会を担うことが必ずできる人材です。未来に、社会に、この経験を活かしてほしいと思っています。

Q: カパティランの活動を通して、子どもたちに見られる変化がありましたら、お聞かせください。

 「自分は日本人です」とこわばった顔で言った高校生がいました。彼女の母親はフィリピン人なのですが、日本人の父親や兄弟のDV(家庭内暴力)から逃げて生活をしながら、全部お母さんのせいだと母親を否定していました。「親に愛されていない自分を一体誰が愛してくれるのか。フィリピンなんて大嫌い」と言っていたほどです。

 「彼女をどうしてもフィリピンに連れていかなければ」。神﨑司祭と有志でお金を出し合い、フィリピンの多文化ホームステイに連れていきました。その時に「お母さんの気持ちが初めてわかった」と、つぶやいたのです。

 「お母さん、タガログ語を教えて」と、彼女はお母さんの様子を伺いながら、少しずつ距離を縮めようと歩み寄るようになりました。ごはん会でフィリピン料理を作ると自ら提案し、お母さんにお料理を教わり、それからは2人で一緒に参加してくれるようになりました。まだまだ距離はありますが、少しずつ心にできた隙間を互いに埋めあっています。

 この経験を通して、彼女は確実に変わりました。心の扉を固く閉ざしていた彼女が、ノックをすれば開けてくれるようになり、今ではノックは必要ないほどです。明らかに変わっていく若い命を目の前にすると、言葉を失うほど圧倒されます。

Q: カパティランの活動を通して、どんな子どもたちの課題が見えてきますか?

 子どもたちの課題の多くは、親が日本の社会に溶け込めていないことに原因があります。小さい年齢ならまだしも、思春期になると、自分の方が日本社会をよくわかっており、学校の書類や進学の話をお母さんには相談できないことに気がつきます。いざとなったら頼るべきものは親しかいないはずなのに、その親が頼れない、一人でなんとかしなければいけない状況に陥ります。

 生活が困窮している家庭ほど、その比率は上がるように思います。学生たちはそこでフラストレーションやイライラを感じ、孤独感を強め、自分を否定することを始めます。その時点で関われる第三者の大人は、学校の先生くらいしかいないのですが、まだ中学生、高校生だとうまく伝えることもできません。

 若い心が傷つき、孤独を強めれば、犯罪の加害者、被害者になったり、望まない妊娠等の状況に陥る可能性が高まります。そもそも生活困窮にあるのも、親が「外国人」ということが原因で最低賃金を下回る金額で働かされている、社会保険に加入していない、など、ひどい雇用環境の下で働いていることが原因です。

 子どももお母さんもそれぞれ、自分なりに一生懸命やっています。社会が変わらなければ、状況は変わらないようにも思えます。ただ、この小さなカパティランの活動を続けていくこと、たった一人の理解者に出会うことが、未来を変えると信じています。

(2019年7月発行のニュースレターNo294より)