市川泰子(運営委員)
近頃、話題に上ることの増えた子ども食堂。私の勤める保育園でも、昨年9月から、子ども食堂「さんりんしゃ」を始めました。正確には、私たちの保育園と、昔から懇意にしている近隣の児童館、保育園、幼稚園などが共同で出資して、運営しています。「子ども食堂」と言っても、関わる人々の思いや掲げるコンセプトは様々で、それをきっちり整理しようとすると身動きが取れなくなってしまうため、「とりあえずやり始めよう。やりながら考えよう」と、細かいことは抜きに、子どもも大人も集える食堂(居場所)として開所しました。
毎週火曜日17時から19時30分まで開所。多い日は60名以上、少ない日も40名程度が利用しています。小学生がひとりで食べにくる場合と、お母さんが小さなお子さんを連れて食べにくる場合が多く、ときどき、中学生が塾に行く前の腹ごしらえに寄ったり、何をやっているのかと店内をのぞいたおじさんが、ついでに食べて行ったりというケースもあります。利用者は、ほぼ全員、近隣に住む地域の人たちです。子どもたちは食事を終えると外で遊んだり、室内で駄弁ったりして、和気あいあいとすごしています。料金は、子どもはワンコイン(1円玉でも、100円玉でも、玩具のコインでも、何でも本人なりに精一杯用意したコイン)1枚以上。大人は500円以上で、おかわり自由。スタッフは、有給1名、その他はボランティアで、各施設の職員や地域の方にお手伝いしていただいています。私も基本的に毎週仕事終わりにお手伝いに行っています。
初め園長から、「子ども食堂やるぞー!!」と聞いたときは、親の養育姿勢にアプローチすることもなく、食事だけ出していくことは、子どもたちにとって良いことなのかな…と、自分としては懐疑的でした。開所から一年弱が経ち、活動に参加する中で、私たちの子ども食堂の良い点と、子ども食堂ではカバーしきれない点があることが、だんだん見えてきました。
私たちの子ども食堂が他の子ども食堂と大きく異なる良い点は、地域の児童施設が共同で運営しているということです。食堂にいる人たちが、子どもや保護者にとって、自分が昔通っていた、あるいは今現在利用している施設の職員さんであるため、安心感があり、信頼関係ができていることが多いのです。そして、運営側としても、食事にくる子どもたちの家庭の背景を、初めからそれなりに把握できている。この子、お家でちゃんとご飯食べられているのかな?と児童館や保育園で、内心、心配していても、今まではそれ以上のことができませんでした。子ども食堂という場所は、子どもに確実に食事が提供できるし、親御さんに対しても気軽に声掛けできるのが良い点です。親に「ちゃんとご飯作りなさい」と言う話を聞き入れてもらうのは難しいですが、「今度、ちょっと食べに来てよ」というのは受け入れてもらいやすい。一緒に食事を囲む中で、ゆっくりできる話もあります。
子ども食堂で様子が気になる場合は、その子がよく通っている児童館や出身保育園の職員、地域のボランティアさんに状況を聞くこともできます。重大なケースを、子ども食堂のネットワークで保護することができたこともありました。地域の方が独力で始めた子ども食堂では、こういったことは、なかなか難しいと思います。今日来た子が、いったいどこの誰なのだろうということを、手探りで情報収集しなければなりません。近隣児童施設が協力して運営している食堂だからこそ、できる部分です。
プライバシーや守秘義務の問題があるので、どこまでをケースワークするのか、その子の情報を誰にどこまで共有するのかについては、かなり繊細な問題ではあるものの、今のところ、昔からよく知る園長同士、施設長同士の信頼関係で成立しています。少し大袈裟になりますが、要保護児童を施設横断的に見守るネットワーク、ケースワークの実験の場として機能していると感じます。
しかし、現状では限界もあります。
「最近A君、子ども食堂に来ないけど、どうしたのかな?」
家庭の事情が複雑なA君。いつも来ている児童館にも、1週間以上顔を見せていないとのこと。よくつるんでいる子に聞いてみても、よくわからない。こうなってくると、もう手立てがないのが現状で、食堂運営に携わる児童施設のネットワークの外に出てしまうと、それ以上は追いかけられない。学校、子ども家庭支援センター、民生委員などと連絡を取らなければ、状況を把握できないのですが、これらに情報のシェアを働きかけるのは、まだまだハードルが高い。本当は、こういった子どもたちに関わる施設、人々のすべてが一つのネットワークを作っていれば、全体をカバーできるのですが、私たちの子ども食堂では、一部を形作るに留まっているというのが、課題です。
一方、もっと気軽な利用でも、子ども食堂は存在意義があるな、と思うようになりました。ちょっと家事を休憩したいお母さんが利用したり、たまには友だちと夕食を食べたい子が遊びに来たり、などの場合です。実際にやってみるまでは、子どもが食事をする場所なんて、ファミレスやフードコートなど、他にもたくさんあるじゃないか、たいして経済的に困ってない家庭を受け入れても子ども食堂として意味があるのか、などと思っていましたが、子どもが多少うるさくしたり、はしゃいだりしても、嫌な顔をされない。食べ終わった後、友だち同士でわいわい楽しい時間を過ごせる。その場にいる全員が、子どものことを優先的に考える。普通の外食とは全然雰囲気が違う、ということを、やってみて初めて感じました。子どもが過ごしやすい場所。子連れでもゆっくりできる場所。子どもに対してやさしい場所。そういう場所としても、子ども食堂は意味がある。逆に言えば、公共の場が、そうなっていないということが悲しいのですが…。
子ども食堂を開所したばかりの頃は、近隣小学校で、「子ども食堂は、貧乏な子どもが行くところ」という説明を、先生がクラスにして、子どもたちにむやみに食堂に行かないように働きかけるという出来事もありました。経済的な面から、子ども食堂を利用せざるを得ない家庭の子が、もしそのクラスにいたとしたら、その子はどんな気持ちだったでしょうか。日本での子ども食堂という形態の支援には、ターゲットを貧困家庭に絞るというやり方はふさわしくないように思います。利用する家庭に“貧乏”のレッテルを貼ることになるからです。それよりも、普遍的に、子どもが安心していられる場所の一つとして、幅広く、様々な子どもや親子を受け入れられる居場所としてあるのが、よいのかもしれません。悲しいかな、そういった場所が、そもそも日本の街角には不足しています。
(2018年7月発行のニュースレターNo282より)