「マフィア国家/メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々」
工藤律子/著 篠田有史/写真 岩波書店
紹介者・瀬尾 真志(会員/漁夫)
今年3月、筆者はマニラのストリートチルドレン・スタディツアーに参加した。その日のプログラムが終わると、ツアーリーダーの工藤律子さんは、パソコンを持ち出し、夜遅くまで宿の食堂のテーブルに向かっていた。「今年、本を出すのよ。原稿を書かかなくちゃ」。
2010年9月、工藤さんはフォトジャーナリストの篠田有史さんと、メキシコシティで本格的な取材に入った。メキシコでは麻薬戦争による混乱で、10年の間におよそ15万人が殺害された。親が殺され、3万人近くの孤児が生まれた。一番の犠牲者は子どもと若者だ、と彼らは確信する。2016年には、年間の殺人発生件数が、シリアに次ぐ世界ワースト2位となった。
メキシコでは、麻薬戦争絡みで、既に50人以上の報道記者が殺されている。工藤さんと篠田さんはひるまない。子どもの権利のために活動する現地NGO代表に、「君たちは本当にどこでも出没するね」と言われる。彼らは、人とのつながりと寄り添いを大切にする。出会い、紹介、再会。使命を感じて動く。
この本の2人には、微妙な切迫感がある。暴力に囲まれ、極度のストレスを抱えていたようだ。誘拐、尾行、監視…、暗殺者はどこにいるかわからない。そんな恐怖が、肌のすぐ隣にあったのかもしれない。
メキシコは人口1億2千万人、面積は日本の5倍、GDPは世界15位(韓国と同規模)の中進国だ。「100年後には、メキシコはGDPが世界5,6位となり、世界をリードする。トルコ、ポーランドなどと共に将来性の高い国」という、未来予想もある。いったい、現在、人々の暮らしはどうなっているのか。筆者が学生時代に旅した30年前とも、だいぶ様子が違うようだ。
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アジア、欧州、中南米へ。ひとり旅の途上、私はホームシックの底にいた。キューバの首都ハバナから、メキシコ東部ユカタン半島のメリダに入る。メキシコの人々は、気さくで親切だった。「日本がだいすきです」。3カ月ぶりに耳にした日本語に、心和んだ。
バスターミナルでメキシコの主食・トルティージャを頬張りながら、私は帝国書院『高等地図帳』を広げた。旅の足跡や書き込みが溢れる。北米大陸の頁にレポート用紙をかぶせ、海岸線を鉛筆でなぞり、白地図を作る。ロサンゼルスまでの旅程を練る。移動は陸路をバス、と決める。地図帳の背をしっかりとガムテープで補強した。
バスは西へ。熱帯密林に眠るマヤ文明のウシュマルや、中央高地のテオティワカンの遺跡を巡る。サボテンの荒野を西へ西へ。薄暗く汚れた空。窓をあけると目がちかちかしてきた。首都メキシコシティが近かった。そこのゲストハウス・メヒコの女主人は、大の親日家だった。バスは、太平洋を望む港町マサトランへ。フェリーでカルフォルニア湾を渡り、対岸のラパスへ。バスは半島を北上する。サボテンの荒野の先に密集した集落が見えてきた。国境の町ティファナだ。すぐ北は大都会サンディアゴ、アメリカだった。身も心も揺れに揺れた旅であった。
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工藤さんは自身の言葉、あるいはインタビュー相手の言葉を通して、訴える。「暴力は何も解決しない。不幸を生み出すだけだ」、「マチスモ(男性優位主義)が蔓延している」、「大人が非暴力の文化を身につけなければ、子どもたちはその負の連鎖から抜け出すことはできない」、「多国籍企業と化したカルテルと腐敗した公権力が結びついて動く〈マフィア国家〉を解体し、再建、再生させるには、そんな〈カルテル〉や〈公権力〉を生み出した〈世界〉のありかたを変えなければならない」と。
篠田さんの写真は、優しく、鋭い。〈世界一危険な町〉といわれる北部国境の町フアレスで、青い壁画をカメラにおさめた。壁に描かれたのは、犯罪に巻き込まれて失踪した若い女性たちだ。「生きぬいて、世の中を変えなくちゃ」と、強いまなざしで叫んでいた。この写真は、本書の表紙に使われている。
「幸せだったのに、ママ大好き」と、目の前で親を殺された子どもの絵は、叫ぶ。「暴力をやめよう」と、元ギャング・リーダー、カルロスは、スラムにある公園で、少年たちに熱く粘り腰で語る。若者たちが立ち上がり、社会が少しでもよくなることを切に願う。
(2017年7月発行のニュースレターNo271より)