メキシコ・ストリートチルドレンと出会う旅2017感想文

遊佐有里(主婦)
 私は、家族の仕事の都合でメキシコに住み始めて約二ヶ月半が経った頃、このツアーに参加した。ふだん暮らしているのはメキシコシティから離れた田舎町だが、お金持ちの暮らす地域も多くある。いつもは安全のために、あまり地元の人が住む地域に入らないということもあるが、私の住む地域では車の信号待ちの際に、物売り、芸をする若者、物乞いの姿をところどころで見るものの、その数は少なく、ホームレスの姿は見かけない。だから、本当のメキシコ、現地の人の生活を知る機会は、これまでほとんどなかった。今回は、初めて飛行機の乗り換え以外でメキシコシティを訪れた。本当のメキシコが見られることを嬉しく思った。

 メキシコに来てからのメキシコ人の印象は、親切で紳士的な人が多いというものだった。が、多くのストリートチルドレンを生んでいる背景には、DVや家庭での性的虐待など、様々な家庭事情が関係しているらしいと知り、私が持つ印象とのギャップが疑問だった。

 実際にツアーが始まり、初めのNGO訪問から、たくさんのことを教わることになった。

 まずは朝起きて食事をし、食事の後には歯を磨き、毎日シャワーを浴びて洗濯された服を着るといった基本的な生活習慣は、きちんと教えなければ身に付かないということ。メキシコでは、人口の半分が貧困層で、洗濯機を持たない家庭も多いということ。施設の入口に鏡を設置して、施設に来た時と帰る時の自分を比べ、身なりを整えた自分を見ることで、自己肯定感を持たせるのが大切だということ。メキシコの貧困層の現状や路上の子どもたちの問題、彼らに必要なことなどが、だんだんとわかってきた。

 各NGOのスタッフは、ほとんどが心理士や社会福祉士など専門的知識を持った人で、子どもや親たちに心理的な面からケアを行っていた。

 実際、冒頭部分で述べたように、境遇は様々だが、DVや家庭での性的虐待、生まれながらにして路上生活をしてきた子どもなど、子どもたちが施設に通い暮らしていることには、何らかの家庭事情が関係している。

 ある施設で一緒にサッカーをした男の子は、通いの施設から定住ホームへ移ったが、暴力事件を起こして元の通いの施設に戻ったという。一見問題のある様子もなく、人のよさそうな少年だが、どういった背景があるのか職員の人に尋ねてみた。彼は兄妹と共に一時期親戚の家へ預けられたが、そこで兄妹が親戚に性的虐待を受けたという。

 また、あるNGOの定住施設には、小さな子どもたちが暮らしていたが、一番小さい子は3ヵ月の赤ん坊だった。この子の母親は9人の子どものうち6人を施設に預けており、何度も新しい男性との間に子どもを作っているらしい。このように、定住ホームに暮らす子どもの中には親に捨てられた子もおり、夜中に起きて「ママ、ママ」と呼ぶこともあるそうだ。子どもたちは皆、一見普通の子たちに見えるのに、一人ひとり何らかの事情があってここにいると思うと、胸が痛かった。

子どもを含め、路上に暮らす人々の間には薬物が蔓延しており、ツアー中、薬物を使用している人々と何度か会ったため、今でもそのにおいを思い出すほどだ。

 ほとんどのNGOでは、毎日時間ごとに活動が決められており、子どもたちがそれに沿って活動していた。子どもたちには常にやるべきことを与えることで、薬物使用など余計なことに意識を向けさせないことができる。それと同時に、様々な活動を通して子どもの可能性を広げることができるのだと感じた。

 各NGOを訪問する度、私たちは子どもたちとお互いに自己紹介をした。あるNGOでは、名前と「自分の好きなこと」を紹介した。心に残ったのは、学校に行くのが好き、勉強が好きという子が多かったことだ。また、子どもたちが嫌いなことを進んで言っていたのも印象的だった。動物を虐待する人が嫌いと言った子もいたし、悪いことを言ったり自分のことを悪く言われたりすることが嫌い、という子も多かった。これらは、子どもたちに何らかの心の傷があることや、心の拠り所とする場所が必要なこと、学習の機会が十分に与えられていないことなどを想像させた。

 また別の日、路上暮らしを抜け出し、子どもたちと家を借りて住んでいるという女性の話を聞いた。路上での生活を経験したことがある彼女の子どもは、家に住むようになり、「家が好き」と言い、雨が降った時には「家があるから濡れなくていいね」と言うのだそうだ。家に住むということや家庭のあたたかさを知らない子どもたちが、この国にはどれだけいるのだろう。

 9日目に訪れたスラムは、遠くから見るとカラフルな色に塗られ、とてもきれいだった。しかし、それは選挙前にその地域をよく見せるため、政府が勝手に塗っていったものだった。実際に訪れてみると、輸送などに使われる木製パレットで作られたような簡素な家が多く、そのような「家」と呼ぶにはあまりに質素な場所にまでペンキを塗っていたのが、驚きだった。その地域にあるサッカー用の広場は、選挙前に突然芝生が敷かれ、選挙が終わった途端に撤去されたらしい。この国の政府のやり方のすごさが、ひしひしと伝わってきた。ここにあるNGOは、以前この地域で食事の配給をしていたが、現在は選挙前(つまり、もうすぐ任期が終わる州政府は住民にいい顔をしても自分たちは得るものがない)なので、州政府からの援助が減り、配給はストップしている。

 この地域で、ある家のトイレを借りたが、穴を掘って上に便座の代わりとなる木箱を置いただけの非常に簡素なものだった。ここにはもちろん汚物の回収すら来ない。穴が一杯になったら場所を移すだけだそうだ。トイレのある小屋の中をはじめ、家の敷地やその地域全体では、地面に多くのゴミが落ちていた。衛生問題が心配だ。

 今回のツアーでは、ストリートチルドレンに関連するいくつものNGOを訪問し、各NGOの活動内容の説明、職員の人や施設にいる人々に様々な話を聞くことができたし、実際の活動にも参加させてもらった。もちろんこのツアーの案内役である律子さんからは多くのことを聞かせてもらった。このツアーに参加して、暴力、薬物、性への意識、衛生、文化、慣習、教育、政治など、メキシコに山積する様々な問題点を目の当たりにし、気の遠くなるような思いがした。

 最後に心に残ったあるNGO代表の言葉を紹介したい。

「路上で暮らす人がいる風景が当たり前になっているが、この風景が当たり前になってはいけない」。「あなたたちのような人が子どもたちに会いに来てくれることで、彼らに誰かと繋がっている、自分にも会いに来てくれる人がいるんだということを認識させることができる。そういうことが、ここにいる子どもたちには重要なことだ」。

 私たちがツアーに参加したことで、子どもたちに少しでもプラスの影響があったことを祈っている。ほんの一部かもしれないが、今回メキシコについて学ぶ機会が得られて良かったと思う。


(2017年11月発行のニュースレターNo274より)

メキシコ・ストリートチルドレンと出会う旅2017感想文

 今年の「メキシコ・ストリートチルドレンと出会う旅」は、8月29日から現地で10日間、6つのNGOを訪ねました。今年は学生だけでなく、社会人も3名参加しました。加えて、現地に長く生活した経験を持つ母娘の参加もあり、日本人のあいだでも様々な視点からモノをみる機会が生まれました。

というわけで、参加したみなさんの感想文をいくつか、今月号から3回に渡ってご紹介します。 

 [訪問先NGOと参加した活動

プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ(ストリートエデュケーションとデイセンター)

カサ・アリアンサ・メヒコ(ストリートエデュケーションとデイセンター、男子&女子定住ホーム)

オガーレス・プロビデンシア(路上訪問と男子&女子定住ホーム、ピクニック)

コムニダーデス・エドゥカティーバス・ポル・ラ・パス(貧困層の子ども・若者に、平和と共生、人権意識を広めるために実施するサーカス教室)

オリン・シワツィン(都市貧困層の子どものための保育所と親への支援)

カウセ・シウダダーノ(都市貧困層の子どもや若者のためのコミュニティセンター)

大野麻衣(高校生)
 今回、私は以前に約3年間住んでいたメキシコシティで初めて、路上で暮らす子どもたちと関わりました。(現在は、日本の高校に通う。)今まではストリートチルドレンを見かけたとしても、近寄ることはなく、通りすぎていました。私が持っていた彼らの印象は悪く、「教育を受けていない、常識を知らない汚い人たち」というようなイメージでした。しかし、このツアーを通じて、私は間違っていたことに気づきました。

 ツアー中、メキシコに住んでいる頃に頻繁に行っていた場所を訪れました。住んでいた当時は、家族と外食しに行ったり、父と自転車に乗ったりしていました。しかし、今回はその路上に住んでいる、私と同じくらいの年齢の子たちと会話をしたり、サッカーをしたりしました。最初はどのように会話をすれば良いのか戸惑いましたが、NGO「カサ・アリアンサ」の方々が会話をリードしてくださり、彼らとの距離が縮まりました。彼らは、積極的にツアーの参加者に日本について質問をしてきたり、自分たちが知っている日本語を私たちに教えてくれたりしました。教育を正しく受けてないので、日本自体を把握してないだろうと、今まで思っていました。しかし、彼らは私がこれまでに関わったメキシコ人以上に、とても日本に興味があり、日本について知りたいという気持ちが伝わってきて、とても嬉しかったです。

 「カサ・アリアンサ」のプレ・コムニダ(デイセンター)で働くスタッフ(主にストリートエデュケーター)の方々は、みんな笑顔で子どもたちと接していました。シンナーやドラッグを吸っていたりしていて、情緒不安定になる子どももいるなか、彼らは子どもたちに安心して信頼してもらえように、一生懸命働いていました。

 失業している時に「カサ・アリアンサ」に雇用され、働きはじめた時はストリートチルドレン支援に対して強い意志は持っていなかったという方も、今は子どもたちが安心して健全な生活をしていることが幸せなことだと、働きがいをとても感じていることを教えてくれました。スタッフの皆さんは、ペアで毎日路上へ行き、そこの子どもたちと何気ない会話からはじめ、信頼を得たのちには、施設に通うよう勧めているとのこと。子どもたちと信頼関係を築くために、彼らの趣味などに合わせて活動を考えており、私たちと共に行動したエデュケーターは、チェスやサッカーを通して子どもたちと仲良くなった、と教えてくれました。最初は心をひらいてくれなかったけれど、共通の話題や時間を作ることによって、壁を壊していったのだそうです。このような地道なひたむきな努力に、私はとても感激しました。

 1日だけの参加でしたが、ツアーを通して、私は路上の子どもたちの素顔を知ることができたように思います。彼らは純粋で、私の友人たちと変わりのない普通の子どものように感じました。路上という厳しい環境に住む子どもたちが、路上生活を自分の意志でやめ、健全な生活を送れるようになるために、また路上生活を余儀なくされる子どもをできるかぎりなくしていくために、私たちは何ができるのか、深く考えさせられた有意義な経験となりました。

深野真広(大学生)
 陽気なラテン音楽、道を行く褐色の肌の人々、道路脇にはタコス屋らしきものが軒を連ねている。空港からホテルまでの道中に眺めた、メキシコの光景は、日本にいるときから思い描いていたメキシコのイメージと、さほど変わらなかった。今回、私がメキシコを訪れた理由は、多くの参加者のように、大学の授業の一環での参加であったり、スペイン語を学び、その理解をさらに深めるためであったり、ストリートに暮らす子どもたちの実情を知り、彼らのために何かをしたいと思うような大した理由ではなく、「メキシコに行きたい。訪れてみたかった」という、ほかの参加者の方々の参加理由からすれば、不純なのかもしれないものであった。そんな理由から参加したからなのか、私の眼には、メキシコの町は最初、ただただ綺麗で楽しそうにしか映らなかった。今回のツアーでの訪問対象である「ストリートチルドレン」に関しても、カンボジアで出会ったストリートチルドレンのように、ただ単に家に居たくない、帰りたくないから路上暮らしをしているのだろうかと、勝手に想像をめぐらしていた。そんな想像は、ストリートに暮らす彼らに出会い、彼らの話を聞いて、崩れ去っていった。

 ストリートエデュケーターに連れられてメキシコのストリートに出かけた時のことは、鮮明に記憶に残っている。それほど衝撃的だったのである。空港からホテルまでの道すがら見たストリートの華やかさとはうってかわって、どんよりと薄暗く、道端にはシンナーやマリファナを吸っている大人たちがたむろし、治安の悪さを感じさせる風景であった。子どもらしい子どもは見当たらず、大人しかいなかったのが印象的だった。というのも私の中では、カンボジアのように、ストリートには子どもたちが沢山いることを想像していたからである。

 そんなことを考えて、ストリートを歩いていると、一人の男性が話しかけてきた。彼は元々「カサ・アリアンサ」の施設に居たらしく、「カサ・アリアンサ」の歴史を話してくれた。彼は気のいい、優しい人だったのだが、彼もまたシンナーを吸っていたことは、メキシコが麻薬大国であることを痛感させる出来事であった。幸か不幸か、今回のツアーの中で、私がストリートで暮らす子どもを見かけること、彼らの話を聞くことは、なかった。ストリートに住む子どもたちがこのような麻薬と暴力の中で日々生活し、日々心身ともに傷つき、やがて彼らも大人たちと同様に、麻薬と暴力の世界に身を置くのかと思うと、そうした環境下で育っていない私には、そんな子どもたちにかける言葉を見つけることはできなかっただろう。

今回のツアーを通して一つの発見があった。それは、どんなに過酷な環境に置かれた子どもたちでも、ゲームやサッカーで無邪気に遊んでいる時の笑顔は、全世界共通で可愛らしく、愛おしいものなのだと言うことだ。

 それを教えてくれたのは、NGO「オガーレス・プロビデンシア」の子どもたちだった。子どもたちはストリートの生活から抜け出すために「オガーレス・プロビデンシア」の定住ホームに来た。そんな彼らとの土曜日の遠足は、実に楽しかった。その一言にすべてが集約される気がする。子どもたちは、公園の中を走りまわり、思い思いの遊びをしていた。そんな光景を見ていると、私は彼らがストリートで生まれ育ったことを忘れていた。子どもは伸び伸びと何の壁もないところにいるのが、本来の姿なのだと思わされた。その「オガーレス・プロビデンシア」には、子どもたちから父親のように慕われ、また、子どもたちに本当の父親のように愛情を注ぐマリオ(プログラム・ディレクター)が居た。私はマリオの人柄に非常に惹かれた。マリオのような父親がいるから、「オガーレス・プロビデンシア」の子どもたちは、笑顔で暗い過去を笑い飛ばせるのだろうなと、私は強く思った。

 今回のツアーでお世話になった「カサ・アリアンサ・メヒコ」、「オガーレス・プロビデンシア」、「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ」、「コムニダーデス・エドゥカティーバス・ポル・ラ・パス」、「カウセ・シウダダーノ」、「オリン・シワツィン」の方々、ストリートで出会った方々、あなた方のこの先歩む道に幸福があらんことを、そして子どもの笑顔が絶えることのないように祈っています。

 最後になりますが、今回ツアーの案内役だった律子さん、篠田さん、本当にありがとうございました。

(2017年10月発行のニュースレターNo273より)