フィリピン・ストリートチルドレンと出会う旅2018感想文 その2

今年のツアーは、大学生4人、高校生1人の計5人での旅となりました。幼稚園で日本の子ども向けの歌とダンスを披露したり、路上や施設の子どもたちとフィリピン・ポップスのダンスを踊ったり、元気いっぱいの一週間でした。

 訪問先は、次の5団体です。
NGO「サルネリ・センター・フォー・ストリートチルドレン
 ストリートファミリーの子どもたちのためのデイセンターを運営する。
NGO「パンガラップ・シェルター・フォー・ストリートチルドレン
スラムヘの支援活動と施設運営をする。
NGO「バハイ・トゥルヤン」  
モーバイル・ユニット車両を用いた路上訪問と施設運営をする 。
フリースクール「パアララン・パンタオ
パヤタス地区の元ゴミ集積場近くにある貧困家庭の子ども対象の学校。
NGO「チャイルドホープ・フィリピン
路上訪問をするストリートエデュケーター派遣を中心に活動する。  

大日方 麻衣(大学生)
〈はじめに〉
私がこのツアーに参加するきっかけとなったのが、工藤さんの講演でした。私は日本の社会的養護に関心があり、児童養護のゼミに所属し学んでいます。そんなとき、大学の授業でスタディツアーの案内人である工藤さんが講演してくださり、そこで初めて「ストリートチルドレン」という言葉、存在を知りました。それまでは、日本の貧困など国内のことにしか興味がありませんでした。しかし、講演を通して国外の子どもたちの暮らし、貧困の現状などを少し知ることができ、実際に現地に行って関わりたいと、このツアーに参加することを決めました。日本から出たことがなく、英語も話せない私にとっては大きな一歩であり、挑戦でもありました。
〈市場の路上に住むストリートファミリーの元へ行ってみて考えたこと〉
「人を助けたいから医者になりたい」と言った少女がいた。まず、「夢」を抱いていることに、ストリートで過ごす子どもたちだからといって決して人生を諦めたりせずに、自分の人生を歩んでいるのだなと思った。それは、私のように家があり帰る場所があり、安定した生活をしていたら、当たり前のことなのかもしれない。しかし、ストリートチルドレンにとって、「夢」を抱けることは当たり前ではないと感じた。学校に行けない、行かない、十分な生活ができていない子どもたちには、将来の展望が明確には見えてこない。そのため、医者になりたいと夢を抱く彼女にとって、エデュケーター、ソーシャルワーカーとの関わりは大きなものだったのではないだろうか。
ストリートエデュケーションの取り組みは、ストリートチルドレンのそれぞれの可能性を拾い上げ、広げていくものだと考えた。彼女だけではなく、夢を持つ少年、少女がたくさんいた。彼らのように「夢」を持つという当たり前のことを当たり前にできるようにしていくことや、その夢へと続く環境を選択し、夢を実現していけるようにすること。エデュケーターとソーシャルワーカーには、そのための架け橋となる力が必要であり、これからより多くの地域で子どもたちとの関わりを作っていくことが求められるだろう。そして、ストリートチルドレンが親になったとき、再びストリートファミリーをつくらないためにも、教育の機会は必ず必要だろう。
〈笑顔に隠れたもの〉
ストリートで過ごす子どもたちと、短い時間ではあったが関わることができ、とても楽しかった。笑顔がとても素敵だった。しかし、笑顔だからストリートで過ごすことが平気だというわけではないことを知った。子どもたちのリーダーであったが、ストリート生活のストレスなどで薬物を吸い始めたという子どもがいた。正直、話を聞くまで薬物を吸っているようには全く感じなかった。笑顔の裏には様々な困難、ストレスが隠れていた。笑顔で楽しそうだから「大丈夫」ではないのだと、改めて感じた。
日本では、児童養護施設でボランティアをしているのだが、施設の子どもたちも、とても元気で笑顔をたくさん見せてくれる。しかし、親と一緒に暮らせないということは、私には想像もつかないくらい辛く、過酷なことだと思う。ストリートチルドレンと日本の社会的養護のもとで生活する子どもとでは、一見、問題が全く異なるようではあるが、共通するのは、子どもたちの笑顔の裏にある本当の気持ちに寄り添っていくことが必要だということだ。そうした関わりが、子どもたちとの関係を深くし、支援をより一層充実したものにできるだろう。私は、まず今できることとして、ボランティア先の子どもたちとの関わりを濃いものにしていくために、一人ひとりの子どもに寄り添っていきたい。そして、ストリートチルドレンとも関わりを持てるようにしていきたい。
 ストリートで過ごす子どもたちが前に進むよう、私にもできることは必ずあるのだと、強く思った。私は私のやりたいこと、やってみたいことをやって行くことで、出会った子どもたちと共に前進していきたい。
〈最後に〉
「人は関わった時点で友だち、大切な人。他人じゃなくなる」ということを知った8日間でした。フィリピンでの出会いを忘れず、共に歩んでいきたいです。最後になりますが、今回のツアー案内人であった工藤さん、篠田さん、本当にありがとうございました。

松本 希良梨(大学生)
 この春、私は初めてフィリピンに降り立った。空港を出た瞬間からカラフルな景色が広がっている。非現実的だとさえ感じた。しかし、私が一週間を通してみたものは、厳しい現実だった。そのなかで感じたいくつかのことを書き連ねていく。

 私がこのツアーに参加して感じたことの一つは、教育の重要性だ。貧困が教育を受ける機会を奪っており、そのことが子どもたちの可能性を奪っていることを実感した。その現実に触れることによって、貧困がもたらす残酷さを思い知った。路上で生活する小さい子どもたちや悪臭が漂うゴミだらけの環境で暮らす子どもたちを、たくさん見た。物乞いをする子ども、盗みを働こうとする少年もいる。彼らの多くは学校に行かず、その日を食いつなぐために生きている。そこには、教育を受けてこなかった子どもたちは大人になっても職を手に入れられず、貧困状態から抜け出すことができないという、悪循環ができあがっている。この悪循環を断ち切るために必要なのが、教育の力だった。

 「バハイ・トゥルヤン」などのNGOによって派遣されるストリートエデュケーターや運営されているドロップインセンターは、まさに彼らの人生を変える存在であった。彼らがいなければ、子どもたちは教育を受ける機会があることも知らずに育っていってしまうかもしれないし、自分には本来無限の可能性があるということを知らずに、一生を終えてしまうかもしれないのである。子どもたちみんなが十分な教育を受けられる環境をすぐにつくることは難しいが、教育を受ける機会を与え、そのなかでリーダーシップを持つ子どもを支援し、ロールモデルをつくっていくNGOの活動は、非常に建設的だと感じた。

 訪れたスラム地域に住む子どもたちは、みんなで食事する時間にご飯を投げたり、友だちのご飯のなかに水をいれたりと、日本の同年代の子どもたちと比べてやんちゃで、食事時間はまさに無秩序な状態であった。日本社会が厳しいだけなのかもしれないが、日常における態度や姿勢、倫理観なども、教育によって刷り込まれているということを、初めて意識した。幼稚園や小学校で、当たり前のように教育を受けてきているために見過ごしていたが、自分が思っていたよりも、教育は成長過程において重要な役割を担うものだった。

 「パアララン・パンタオ」を訪問したときのことだ。この団体の支援で奨学金をもらう代わりに、団体が運営するフリースクールでボランティアをしている大学生に、ボランティア活動をしていて何か楽しいことやよかったことはあるかと尋ねると、それまで積極的に意見を述べてくれていた彼らが、困った表情をした。少し間をおいてから、一人が「子どもたちとの交流が楽しく、ストレス解消になる」と言った。また、ほかの一人は、「よかったと思うことはあまりないが、この施設が好きだから続けている」と言った。奨学金をもらい続けるには、学業において一定以上の成績を修めなければならず、ボランティアをしながらだと、それが少し大変だという意見もあった。表には出しづらい、彼らの率直な思いが聞けて、親近感に似た感情を抱いた。

 フィリピンの人々は、貧困のなかでも笑顔で明るく生きていると描写されがちだ。が、やはり彼らにも、悩みや不満はあるだろうということを感じ取ることができた。施設を訪問しにきた日本の大学生と施設で活動するフィリピンの大学生という構図を壊して、もっと本音を聞いてみたいと思った。このツアーはストリートチルドレンと出会う旅であったが、現地の同年代の生活を知り、考えを聞いたことによる刺激が一番大きかった。

 フィリピンの子どもたちや同年代の人々と話して、「情けない」と、私は思った。自分が温室生まれ温室育ちであることを痛感したのである。私は今、文学部で勉強している。このことをNGOのドロップインセンターのスタッフに伝えると、彼は「僕もそこで学びたかった」と言った。「パンガラップ・シェルター」のスタッフとそこで生活する大学生に伝えると、「文学は賢い人しか学べないものだ」と言った。確かに、今回の旅で出会った奨学金をもらっている大学生は皆、エンジニアや経営者、ソーシャルワーカーになるための勉強といった、手に職をつけるための勉強をしていた。フィリピンの貧困層の人々は、職を手に入れることが最優先で、そのために大学進学するのであり、彼らにとって純粋に学問そのものを楽しむということは、現実味のない話なのだ。私が日本でいかにぜいたくな暮らしをしているかを実感した。

 長い間、英語を勉強しているにもかかわらず、彼らに自分の意志や考えを正確に伝えることができなかった。それが本当に悔しかった。そして、一生懸命に今を生きる彼らの姿に、うしろめたさを感じた。彼らは将来を見据えて考え、行動していた。その姿を目の当たりにすることによって、モラトリアム期間に甘えている自分が浮き彫りになったのである。この旅は、フィリピンの貧困社会に生きる人々のことを知るだけでなく、自分を見つめなおす機会にもなった。自分の置かれている環境に感謝し、目的意識をもって生きていく必要があると、強く感じた。

 厳しい現実のなかにも、たくさんの笑顔があった。フィリピンの人々はみんな、陽気で歌とダンスが大好きだった。ストリートエデュケーターの活動に参加させてもらったときに、みんなでゲームをした。その際に、子どもたちが踊っていた音楽が頭から離れず、翌日、ココナッツ・エコツアーを案内してくれた「バハイ・トゥルヤン」の定住ホームの男の子たちに、この曲を知っているかとうろ覚えのメロディーを聴かせて尋ねた。そうすると、彼らみんなこの曲を知っており、ダンスを披露してくれた。それから私たちは、この曲をずっと口ずさみ、夜遅くまでダンスを練習した。この曲は、私たちにとって思い出深いものとなった。これからもずっと忘れないだろう。

 最後に、ツアーに一緒に参加したばんちゃん、さなちゃん、まいちゃん、アレックス。一週間ありがとう。そして引率してくださった工藤さんと篠田さんには本当にお世話になりました。ありがとうございました。



(2018年5月発行のニュースレターNo280より)

フィリピン・ストリートチルドレンと出会う旅2018 感想文 その1

今年のツアーは、大学生4人、高校生1人の計5人での旅となりました。幼稚園で日本の子ども向けの歌とダンスを披露したり、路上や施設の子どもたちとフィリピン・ポップスのダンスを踊ったり、元気いっぱいの一週間でした。

 訪問先は、次の5団体です。
NGO「サルネリ・センター・フォー・ストリートチルドレン
 ストリートファミリーの子どもたちのためのデイセンターを運営する。
NGO「パンガラップ・シェルター・フォー・ストリートチルドレン
スラムヘの支援活動と施設運営をする。
NGO「バハイ・トゥルヤン」  
モーバイル・ユニット車両を用いた路上訪問と施設運営をする 。
フリースクール「パアララン・パンタオ
パヤタス地区の元ゴミ集積場近くにある貧困家庭の子ども対象の学校。
NGO「チャイルドホープ・フィリピン
路上訪問をするストリートエデュケーター派遣を中心に活動する。 

馬場はるか(大学生)

 飛行機を降りた瞬間、温かく湿度の高い空気を感じた。“ただいま。”そう思った。今回のスタディツアーで、私がフィリピンへ来るのは3回目であった。1回目は他団体のスタディツアーで、2回目は1回目でお世話になった人たちにもう1度会いたいと思い、1人で再訪。そして今回のツアー。私にとって約1年ぶりとなるフィリピンであった。車の窓から見る限り、マニラの景色は前よりも大きく高い建物が増え、また、少しきれいになったような気がした。

 今回のツアーでは、ストリートチルドレンやゴミ捨て場で暮らす子どもたちなど、様々な環境、背景で生きる子どもたちを支援している、様々なNGO団体を巡った。大学での講義や工藤さんが書かれたストリートチルドレンに関する本などを事前に読み、ストリートチルドレンについてはある程度理解していたが、実際に路上やスラム街で暮らしている彼らと深く関わるのは、初めてであった。

《子どもたちの印象》
 現地NGO「チャイルドホープ・フィリピン」のストリートエデュケーションを受ける子どもたち、「サルネリ・ドロップイン・センター」で一緒に紙コップけん玉を作った子どもたち、「バハイ・トゥルヤン」のモーバイル・ユニットで訪れたゴミ捨て場で暮らす子どもたちなど、どの団体に関わる子どもたちも、とてもフレンドリーで、人懐っこい印象であった。私たちが急に訪問しても、それほど緊張することなく、積極的に私たちと関わろうとしてきた。控えめな日本人の私たちからすると、その姿に救われたような気がする。

 そんな子どもたちであったが、外見からは、生きる現実の厳しさが感じられた。子どもたちの服は黒く汚れており、髪の毛は少しべた付いた感じ、裸足かビーチサンダルで、手の爪の先は伸びたり、黒い汚れがたまったりしていた。もちろん、中には比較的きれいな服装をしていたり、スマートフォンなどを持っていたりする子どももおり、「貧困」と呼ばれる人々の間でも、細かく層が分かれているのだろうと感じた。フリースクール「パアララン・パンタオ」にいる子どもたちのように、服装や持ち物が比較的きれいで、教育を受けることができている子どもたちもいた。様々な団体を回ったことで、同じ年齢の子どもでも、育つ環境により全く異なる人生を歩むことになるのだと感じた。フィリピンの年齢に関係なく通える学校の制度からも、子どもたちの現状を理解することができる。

《NGOの様々な活動》
 今回、様々なNGOを回り、実際に子どもたちになされている活動、支援を知ることができた。路上での性教育やゲーム活動、食事の提供、路上で生きる子どもたちの家族訪問、シャワーの提供、文字の書き方教育。また、子どもたちのなかにジュニアエデュケーターという役割の子どもをもうけ、リーダーシップを高めること、奨学金制度の提供など、様々な活動、援助がなされていることを知った。活動を見学して感じたのは、フィリピンには手厚いサポートをしている団体が少なくないにも関わらず、良い意味で子どもたちがそのサポートに頼りすぎることがないのは何故だろう、ということだ。様々な活動を知ったことで、子どもたちは施設に通って教育を受けたり、将来のために必要な力をつけたりすることは、決して難しくないのでは、と感じた。しかし同時に、子どもたちが暮らす環境を考えると、ただサポートを受けるだけではいけないのだろうとも感じたのだ。生まれたときからの不規則な生活習慣、通学、学習といったような日課をこなすことの難しさ、周りにいる大人たちの考え方や生活習慣の影響、家庭の事情など、複雑な問題が多く潜んでいるのだろうと思った。その根本的な部分を少しずつ良くしていけるように、日々のストリートエデュケーションや、心のセラピーともなる音楽やゲーム遊びなどでのサポートが、数多く行われているのかもしれないと思った。地道で粘り強い活動が、子どもたち、周りの大人たち、そしてフィリピン社会を変えていくのだろうか。

《私にできること》
 ツアーを通して私が考えていたことは、私には何ができるのか、ということであった。路上やゴミ捨て場で暮らす子どもや家族をどうにかしたいが、何をどうしたら良いのか分からない。また、フィリピン人の陽気で楽しそうな姿を見ると、本当に今困っているのか、日本人である私の感覚で一方的に困っていると思い込んでいるだけではないか、と考えることもたくさんあった。いわゆる貧困層と呼ばれる生活をしている人たちに出会ったことは、本当の貧困とは何か、と私自身が改めて考えさせられる機会となったのだ。

 今回のツアーを通して感じた、私にできること、それは「知ること」だ。知らなければ、何も行動できないと感じたからだ。講義を受けたり、本を読んだりして知ることや、実際に自分の目で見たり身体で感じたりして知ることなど、方法はたくさんある。どんな方法でも、しっかりと現状を知ることは、次の行動の強い味方となる。今回のツアーを通して、今まで知らなかったことを多く知ることができて、本当に良かったと思う。

《最後に》
 ツアーを引率してくださった工藤さん、篠田さん、そして偶然出会った4人の仲間たち、1週間、本当にありがとうございました。価値ある時間をこのメンバーでともに過ごせたことに、本当に感謝です。またどこかで会いましょう!その時まで、少しでも成長した姿を見せられるように頑張ります。

竹本早那(大学生)

 3月1日、この時期にしては暑いと感じるようなその日に、さらに暑い南へと出発し、マニラに降り立った。もう外はすでに真っ暗だった。空港からタクシーでペンションへ。運転手を含めて5人乗りであろうタクシーに6人。後部座席はギュウギュウになりながら、他愛のない話をしつつ、進んでいった。

 思っていた以上に開発が進んでいたマニラは、夏に行ったカンボジアやベトナムと違い、道路を走るそのほとんどはバイクではなく、自動車だった。日本では考えられないスピードで走る、ということはなく、基本、安全運転だった。しかし、道路を走る自動車の数は多く、車間距離や車線なんてものはあってないようなものだった。ペンションに着くと、そこには大きな門。なかから門番の人が開けてくれた。

 開発途上国では見慣れた光景だが、大型のショッピングモールなどに入る際の荷物検査や金属探知機には、少し驚かされた。初日は、移動と顔合わせで終わったが、勧められて食べたオムレツはなかなかおいしかった。

 翌日、徒歩でペンションを出発し、まずは両替所へ。歩道は整備されているが、ひび割れていたり、露店があったりして、大分歩きづらかった。時々、異臭も漂ってきた。物乞いにも普通に遭遇した。赤子を抱えた家族や小さい子どもだった。求められても即座に首を横に振る。相手の目を見て、しっかりと「あげない」という意思表示する。このようなとき、特に小さい子に物乞いをされると、可哀そうで顔を見られないという人は多いだろう。目を背けたくなるのも理解できる。しかし、それではいけないと、私は思う。どんなにそれが見たくない、つらい現実だとしても、私たちはその現実を理解し、受け入れる必要があると思う。

 次はジプニーに乗って観光へ。ジープを大型に改造したような乗り物で、窓ガラスやドアのない乗り合い路線バス。しかし、バス停はなく、降車のときは自分でジプニーを止めなければならないし、大通りの車が多い場所では、一時停車中に道路の真ん中で降りなければならない。現地の洗礼を受けた気分だった。乗れるだけ乗せてギュウギュウでも譲り合い、乗車賃やお釣りの受け渡しをするのは、人を身近に感じられる温かい空間だった。

 夕方、「チャイルドホープ・フィリピン」を訪問。活動の様子などを話していただいた。路上生活をしている子どもたちに、学校以外で学ぶ場所を提供している。エデュケーターとソーシャルワーカーの二人一組で2つのエリアを担当し、授業やレクリエーションをしていた。授業の内容は様々で、音楽だったり、保健衛生で必要なことだったり。何故、路上生活を余儀なくされるのか。路上生活者に対する政府の対応と、それに反発するNGOとの対立がよくわかる一日だった。

 3日目、バクララン教会がやっているプロジェクトの一つである「サルネリ・ドロップイン・センター」へ。子どもたちが来る時間はきっちりとは決まっていないが、やってきたらまずシャワーを浴びるところから始まる。その後、基本的な読み書きや計算をしたり、遊んだりする。時々、音楽の先生がやってきて歌を教えたりもする。年齢や性別の違いもあるだろうが、男の子の方が歌の時間に退屈そうにしているのは、あまり日本と変わらない気がした。

 昼食後、教会へ移動し、シスターたちとともに、性的暴力を受けたり、性産業で働いていたりした女性の保護・回復・生活支援のための施設を卒業した姉妹の話を、聞かせていただいた。彼女たちは、義父に性的暴力を受けていたが、伯母に相談し助け出され、裁判まで起こしていた。しかし、最終的に「和解する」という選択をする。家族だから、という理由だけで、お互いを理解し和解しようとすることは、多くの人にとって考えられないものだと思う。義父の行為は到底許せるものではないと思うが、フィリピンの人々はそれだけ愛情深く、家族思いなのだろう。

 夕方、前日と同じようにストリートエデュケーションに同行した。すでに授業は終わっており、みんなでゲームをやった。ダンスも披露してくれて、楽しいひと時だった。帰り際、子どもたちが住んでいるところへ案内された。そこは以前、公衆トイレだったようだが、不法に占拠し住み着いているそうだ。ただし、水道と電気代は払っているらしい。お世辞にもキレイとは言えないが、屋根と水道と電気があるだけでもありがたいのだろう。

 4日目は、車で「バハイ・トゥルヤン」が運営している男子定住ホームへ。そこでは豚をはじめ、様々な家畜や農作物を育てている。「命の木」といわれるヤシの木の利用方法、加工の仕方などを教えてもらった。特に、ヤシの実を下から焙る窯は興味深かった。

 5日目、バスとジプニーを乗り継ぎ、スカベンジャーを生業にしている人々が住む地域のフリースクールへ。子どもたちにダンスを披露し、歌を披露してもらう。フィリピンでは、小学校に上がる前にある程度、読み書きや勉強ができないと授業についていけず、ドロップアウトしてしまう子が多くなる。以前はドロップアウトしてしまった子の面倒も見ていたが、教育省に正式な学校として認められていないので卒業資格を与えられず、現在は就学前児童のみ勉強を教えている。また、大学で勉強したい若者のために奨学金制度も実施しているが、最近は寄付が集まらないので経営が大変だと話していた。

 6日目は、午前中から「バハイ・トゥルヤン」がやっているドロップイン・センターとゲストハウスへ。政府やオーストラリアでアドボカシー活動を行うときに使う劇を通して、わかりやすく、子どもたちが置かれている状況の説明とエデュケーションについて話していただいた。「child to child approach」の方針で、支援を受けた子どもたちが成長し、エデュケーターになり、自分の後輩に教わったことを教えている。自立性や自主性を養うにはとてもよく、新しい考え方だなと思った。

 モーバイル・ユニットで、スカベンジャー(ゴミを集める人)の人たちのスラムへ。見渡す限りゴミしかない場所を子どもが裸足でかける姿を見て、ケガをしないか冷や冷やした。奥にある広場で、ゲームをして、レベル別に読み書きをして、食事をする。年も性別も異なる大勢が一堂に集まれば、喧嘩や悪戯が絶えず、一苦労だった。

 7日目、電車に乗り「パンガラップ・シェルター・フォー・ストリートチルドレン」の施設へ。男子専用の居住型施設で、就学支援や普段の生活支援、卒業後の就職支援などを行っている。40人近い年頃の男の子が共同生活を行っているので、職員の心配は絶えない様子だった。昼食は午後から学校の子と帰ってきた子でバタバタしていたが、みんな親しげに話してくれた。私の名前はフィリピン語で、「hope希望」や「wish望み」を意味すると教えてもらい、うれしかった。言語が違うと発音は同じでも、全く異なった意味になると実感した。

 今回、このツアーに参加し、路上生活を送る人たちの現状や地域の人たちが行っている活動を学べたことは、自分に新しい道と発想を与えてくれ、家族の在り方を考えさせられるような価値のある時間をすごせた。ともすれば、一期一会の旅かもしれない。しかし、旅先で出会った子どもたちや施設の職員に教えていただいたことを忘れずに、世界を変えるための小さな一歩を積み重ねていきたいと思う。


 (2018年4月発行のニュースレターNo279より)