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ニュースレター

チャリティ・ラテンパーティ/8月「子どもと平和」を考える に参加して

2015/01/14 15:03:46 ニュースレター
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ストリートチルドレンを考える会

児童作家・西山利佳

HPからプリントアウトした写真付きの案内図片手に、初めて「がんばれ!子供村」を訪れました。日が暮れてもねっとりと暑い日でしたが、参加してよかったです。考えさせられたあれこれを書かせていただきます。

 

まず、<ヒロシマの被爆少女が語る「子どもと平和」>の天野文子さんのお話の冒頭で、「私は戦争を知っているとは言えない」とおっしゃったのに、嬉しい衝撃を受けました。というのは、私はもう50を過ぎていますが、20代や30代の頃、「体験者」に対する妙なコンプレックスが強かったのです。上の世代の方が「体験」を原点に戦争に反対なさる、では、戦争を体験していない私には平和は語れないのだろうか・・・といった、勝手な屈折です。「戦争を知らないあなたたちにはわからない」と責められているような感覚があったのです。

 

私は中高生の国語の教師もしているのですが、戦争を扱った教材や、読書感想文で、「戦争を知らない私たちにわかるはずがない」、「わかるなんて言ったら失礼だ」といって考えるのをやめてしまっている様子が見受けられるのも、気になっていました。また、南米のメッセージ性の強い歌「ヌエバ・カンシオン」を学生グループなどが演奏しているのに対して、「当事者でもない日本人の私たちがそういう曲をやるのはどうかと思う」と身近な人が言うのを聞いて、ひどく気持ちが萎える思いをしたこともあります。軽々しくわかったつもりになることは論外ですが、当事者をひどく限定して、距離を置くような姿勢は世界をつまらなくすると、今ははっきりと思っています。

 

ですから、天野さんが「知らない」というスタート地点に立たれていることに、強く胸を打たれたのです。天野さんは、「原爆のことだって、一番知っている人は死んだ人かも知れない」とおっしゃいました。そして、「だから、問い続けている、知ろうとし続けている」と。ある時、小学三年生の「平和のために何ができるでしょう」という質問に、大江健三郎の言葉を引いて、「ずっと考え続けてください」と答えたという天野さん。私たちが受け取るべき要もここだと思いました。

 

「問われるヒロシマ」という指摘も印象に残りました。「<ヒロシマ>といえば<パール・ハーバー>」「<ヒロシマ>といえば<南京虐殺>」と書いた栗原貞子の詩「ヒロシマというとき」を挙げられて、「アジアの人たち、世界の人たちからヒロシマは問われている」とおっしゃいました。韓国や、アメリカをはじめ、各国へ出向いてヒロシマを語り、まさに栗原貞子の詩さながらに日本の加害責任をつきつけられ、天野さんは鍛えられたのだろうと思います。「外国でヒロシマを語ると、日本人の代表になるのよ。あのころの総理大臣でもないのに、責任を問われるの。そのことを知っておいてね」と、目の前に座った子どもたちに、特に語りかけていらっしゃいました。

 

私は、自己紹介の時間に、一つ質問をしました。広島の平和記念館の人形撤去案をどう思われるか、うかがったのです。すると、天野さんはよくぞ聞いてくれました!という感じでこたえてくださいました。曰く、臭いも音もあるような、もっと本格的な部屋を作るべき。イギリスにはそういう展示があるとのこと。残すかそのままか、二者択一の意見しか聞いたことがなかったので、さらにリアルなものをというお考えは、衝撃的でした。(その後、例の「はだしのゲン」閲覧制限問題が明らかになり、天野さんのお言葉を思い出しました。)

 

「知らないことは罪 知ろうとしないことも罪 知ったことを伝えないのも、私の罪」。子どもたちから戦争の真実を隠すのも、大変な罪ですね。

 

さて、工藤律子さんが、「(天野さんと、自分たちの活動は)違うことをやっているけど、同じことを目指している」とおっしゃったことに、天野さんも大きく頷いていらっしゃいましたが、私もそう思います。人が人として幸せに生きられる世の中を作ろうと活動されていることは同じです。また、天野さんも、ストリートチルドレンを考える会のみなさんも、国境を越えてものを考え、動いていらっしゃる点も同じだと思いました。そういう、それぞれの場で地道に活動をつづけている方同士は、自分のがんばりで自然と相手を励ますものだと、改めて思いました。互いの存在を知るだけでも、互いを励ますのだと思います。今回のパーティもそういう場なのだなと思いました。

 

一部と二部の間で、全員が自己紹介をしましたが、ものを深く考え行動する頼もしい若者がこんなにたくさんいるのだと、感動しました。私も、私の場所でがんばらなきゃいけないと、改めて思わされました。そして、おいしいお料理を楽しみながら、キューバの127歳のおばあちゃんのスライドに、人生まだまだこれからだと中高年も笑いあい、魂の潤う夜でした。

 

★夏のチャリティパーティに参加した子どもたちの感想★

*8月のチャリティパーティには、運営委員の知人の先生の塾に通っている小中学生も参加してくれました。その感想文をご紹介します。

 

本当に経験しないと/小学4年生 きく

私の父と母は、ミャンマー生まれで、私は日本で生まれました。ミャンマーでは、もっと自由な国にするためにデモなどがあります。父と母は、仕事や勉強をするために、日本に来て私を生んでくれたので、かんしゃします。

 

そしてこのごろ、戦争はどんなものか考えはじめました。自分で考えることはなかなかできなかった時、神様のおめぐみで、天野文子さんの広島のげんばくの話を聞くことができました。

 

今、生きて、私たちはけいけんしたことがないから、死んだ人に申し訳ないという気もちがあるけど、やっぱりそれは、本当に経験しないとわからないんだなあと思いました。

 

これからは、戦争をやめて、それぞれ国と国をくらべたりしないようにしてほしいと願っています。

 

Dont forget! ヒロシマ/中学2年生 あおい

8月10日の夜、広島の原爆を直接体験した方のお話会に行きました。お話をしてくださる方は高齢なので、来年のお話会はあるかどうかわからないということなので、参加しました。

 

お話をしてくださった方は、天野文子さんという方で、1931年、広島生まれ。中学3年生の時に被爆し、家族を失ったのに、爆心地近くの小学校の先生として働かれていました。その後、幼稚園の園長先生をしたり、国連軍縮特別総会に日本代表として証言したりした立派な方です。

 

1945年8月6日、朝8時15分、広島市の上空で原子爆弾が落とされました。温度は3000~4000度。1500度で鉄が溶けるから、その恐ろしさが伝わってきます。

 

天野さんは、当時14歳。学徒動員で広島市郊外の工場で働いていました。工場のロッカーの前ですさまじい光と爆発音と爆風を経験しました。広島市内の自宅まではその日のうちに帰れませんでした。翌朝市内に入ると、無惨な死体ばかりで自分の街は全滅していました。その時の様子の絵や写真をスクリーンに写して見せてくださいました。自分だけが残ってしまって「本当にごめんなさい」と思われたことを、涙ぐみながら話してくださいました。

 

天野さんが、「この中に『はだしのゲン』を読んだことのある人はいますか」と聞かれました。私は、「はい、読みました。図書館で手塚治虫さんのマンガかと思って読み始めましたが、最後まで読んで中沢啓治さんの体験談とわかってびっくりしました」と言ったら、「よく読んでえらかったですね」と、天野さんがほめてくださいました。

 

はだしのゲンの中で一番印象に残っている場面があります。それは、顔から足まで割れたガラスが突き刺さっている絵や原爆が起きた後の街の様子です。その絵は、体験をしたことがない自分たちになにかを訴えているようで、広島原爆の起きた直後の人々の苦しみが伝わってきました。けれど、この広島原爆を体験した人の苦しみや悲しみを近頃、教育に悪いと言って、はだしのゲンや戦争についての本を見せない、読ませないという学校が新聞やニュースで取り上げられています。

 

私はこの考えは、間違っていると思います。私たちはみんな、広島原爆の事実を正しく知らなければなりません。そうしなければ、歴史が破損されてしまいます。日本はもちろん、世界中の人が原爆の事を知るのは常識なのです。

 

私は直接、大切な話を聞くことができてよかったと思います。また、来年、同じような、知ってよかったと思えることに挑戦してみたいと、心から思います。

 

●天野文子さんのお話を聞いて/中学3年生 あいか

私は英語の教科書で、広島に爆弾が落ちて、たくさんの人が死んだり、けがをしたりしたことを勉強していました。それは、A mother’s Lullaby(あるお母さんの子守歌)という話で、原爆で一人だけ残されてしまった男の子を、女の子がお母さんの代わりになって、抱きながら子守歌を歌ってあげる話です。その男の子もお母さんになった女の子も、翌朝までに死んでしまう話です。

 

本当に原爆を体験した天野文子さんのお話を聞いて、私もつらくなりました。戦争は無駄なことだと思いました。

 

(2013年10月発行のニュースレターNo225より)