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ニュースレター

グアテマラ周産期事情1

2016/08/26 07:43:42 ニュースレター
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ストリートチルドレンを考える会

運営委員・久野佐智子                                                                           

 グアテマラの農村部あたりの出産は、今でもコマドローナと呼ばれる伝統的産婆が分娩の介助をするということを、前回書きました。さて、このコマドローナのおばちゃん方ですが、コマドローナになったきっかけから、その仕事の方法に至るまで、いまだにその土地に根付くマヤ文化のスピリチュアルな信仰ともいうべき、独特の思想に大きな影響を受けています。それについて、あるコマドローナは以下のように語ってくれました。

 「病気になった時に、キリスト教の信者仲間たちが私のところに来て、私が赤ちゃんを取り上げるという、お告げをしたの。それから私は夢を見てね、その中で私は白百合の茂みで種まきをしていたの。そうしたら突然、白百合が倒れてそこから球根が出てきたのよ。次の日に、実際に女の子が生まれて、私が出産のお手伝いをしたの。そう、白百合が女の子で、球根が胎盤だったってわけ。こうして神様が私に夢を見せてお告げをくださったの。」

 また、別の方は、マヤ語(キチェ語)しか話せない姑の通訳をしながら、次のように語ってくれました。

 「(コマドローナの姑は)よく病気になることがあって、その時に、もしかしたらコマドローナになれる幸運があるのではないだろうかって言われて、そうしてなったらしいですよ。姑は、運が良くてやる気があればコマドローナになれる、と言っています」

 他にも、「病気がなかなか治らなかったのは、コマドローナの仕事をしていなかったからで、コマドローナになってからはすっかり良くなったの」と言う人もいました。このように、神のお告げはしばしば病気を伴うようです。「神が大切なことを伝えるために、私を病気にした」とか、「コマドローナになりなさい、という神の教えに従わなかったから、病気になった」と考えられており、病気になるということは、ときに神が決めた人生の転機を知らせる手段となっているのです。

 そしてある現象が、実際に起こる出来事の象徴として捉えられていることも、マヤの思想に共通するようです。前出の白百合と球根の夢の話のように、それ以外にも、「目の前を通り過ぎる鳥」や「道に落ちている石」だったり、「紙」が象徴していことを、あるメッセージとして読み取ることで、コマドローナになったり、女性の出産が近いことを察知するという習慣が、今も残っています。

 それとは別に、妊娠から出産までの異常について、例えば逆子の場合はその原因が「妊婦が心の中で本当は欲していない子どもだから」だとか、「夫婦が離れ離れになっているから」というように考えられている、「陣痛が3日間も続く難産になったのは、義理の姉と喧嘩をしたせいだ」といわれている例もありました。また、出産に伴う異常については、妊婦が弱いせいである、怠け者だからだと言われることもあり、かなりネガティブで、まるで妊婦を責めるかのような見方があります。これは私の勝手な想像に過ぎませんが、このネガティブな考え方はマヤの思想というよりも、もしかしたら姑の目線から見た嫁に対する批判なのかな、とも思ったりします。というのも、コマドローナはほとんどが、姑世代の高齢女性なので。

 コマドローナは、資格のいる仕事ではありません。しかし、「コマドローナ」になれるのは、神に選ばれた人だけだ、といわれています。これは、本人や村の人だけでなく、病院で働く医師や看護師もまた,そのように言います。神のお告げや運命でコマドローナとなり、その素質を与えられた人だけがなれる、というのです。それだから、頼む方も頼まれる方もそれを信じ、お互いの信頼関係で成り立っています。どのコマドローナも、「分娩介助は私がしているのではなくて、私の手を遣って身体を遣って、神がしているのです」と言います。自他共にそのように認めるからこそ、村でコマドローナは尊敬されている存在なのでしょう。

 しかしこの信頼関係が実は今、西洋医療の波によって崩れつつあるのです。西洋医療の知識と技術により、安全が確保される一方で、農村の人々が培ってきた貴重な文化までもが否定されるという現状。次回は、コマドローナに降りかかっている西洋医療の影響について、書きたいと思います。

(2016年7月発行のニュースレターNo258より)