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ニュースレター

メキシコ・自己りゅう学記 その1

2016/06/21 11:55:58 ニュースレター
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ストリートチルドレンを考える会

運営委員・角 智春

 メキシコに来て2ヵ月余りが経ちました。頭がおかしくなりそうなくらい楽しい日々を送っています。タコスの油と、チレ(唐辛子)と、「ずっと飲み続けたら確実に死ぬな」と言えるほど甘いジュースやお菓子と、コカ・コーラのおかげで、胃の調子はもっぱらおかしいですが、それも吹き飛ぶくらいの充実した毎日です。メキシコの食べ物は美味しくて、お腹を患っていてもやめられません。

 

 こちらでは語学学校に通いつつ、週に1回のペースでNGO「オリン・シワツィン」に通っています。オリン・シワツィンは、シングルマザーの家庭を中心として、様々な貧困家庭の子どもを預かる保育園活動中心の団体です。親が働いているあいだに子どもたちを預かることで、シングルマザーや、夫からDV被害などを受けている女性の経済的自立を支援し、さらに、子どもたちが日中安全に過ごせる場所を提供することが主な目的です。だいたい朝の9時から夕方の5~6時まで子どもを預かります。日本の同年代の子どもたちの様子をよく知らないので比較はできませんが、オリンの子たちはみんなよく笑い、よく動き回り、よく泣き、よくけんかしています。そろそろ彼らのなかにも私の存在が定着してきているようで、長いまつ毛の子どもたちが「ちはる、ちはる」と寄ってくるのが何よりうれしい瞬間です。

 

 私がオリンに通うことを決めた理由は2つあります。ひとつは、3年前のスタディツアーでオリンを訪問した時に、非常に印象が良かったということです。正直にいうと、数多くのストリートチルドレン(多くが、少年~青年世代)と関わったあと、この保育園で出会った0~5歳の子どもたちは、みんな素直でとてもピュアに見えました。貧困という問題に曝された子どもたちという点ではみな同じですが、特に、現状を変えたいと願う家庭のなかで育っているオリンの子どもたちは、日本の子どもと変わらず、明るい存在に感じられました。そして、そのような人びとの関わりによって運営されているこの施設からは、彼らが非常に構築的な活動をしていることが伝わってきました。保育園というのは、毎日出勤する親に連れられて、毎日同じ子どもが通いに来る場所です。大義名分があってなにか劇的な活動をしているというよりは、それを必要とするひとの日常のなかに溶け込んで、静かに着々と動いているような場所だと思います。そういうところが好きです。

 

 理由のふたつめは、スラムについて考えたい、ということです。とくに20世紀後半以降、政治的・経済的な諸事情から、世界中で都市への過剰で急速な人口流入がおこり、その人口の受け入れ先のほとんどは、スラムとなっています。メキシコシティは、世界最大規模のスラムを抱える都市です。マイク・デイヴィス『スラムの惑星――都市貧困のグローバル化』(2006、明石書店)によれば、メキシコの都市人口におけるスラム居住者の割合は19.6%=約1500万人です。すこしデータが古いので、いまはもっと増加していると思います。

 私は大学で文化人類学を勉強しています。「人類学といえば“奥地の村”を研究するイメージだけど、なぜ都市問題をやるの?」と思われるかもしれません。メキシコの人から「何を勉強しているの」と聞かれて、人類学と答えると大体、先住民の話や遺跡の話に発展します。もちろんそれこそ人類学なのですが、もっと広い意味でいえば、人類学に必須の手法である「フィールドワーク」という言葉が示しているように、「ひとりひとりの人間が現実にどう生きているか」ということを考えるのがこの学問だと、私は思っています。表向きには見えてこない尊いものを見にいく学問、ともいえます。

 当たり前ですが、スラムは貧困層の住宅の密集地で、つまり、人は「種類」(経済的状況、と言いかえてもいいですが)によって住む場所が決まる、という現実が剥き出しになっている場所です。スラムは多くが都市の周縁部分に広がっているうえ、必ず「危ない」というイメージがついてまわります。よって、物理的にも精神的にもスラムの不可視化が達成されます。国家の住宅管理もなく、インフォーマル産業で埋め尽くされている場所なので、スラムの内部でどのような社会構造が築かれているか(たとえばだれがその無法地帯で暴利を得、だれが更に搾取されているのか)ということも見えません。メキシコシティの人口の20%以上、という膨大な数の人間が、スラムのなかでどのような生を送っているのか。オリン・シワツィン=スラムが対象、というわけではありませんが、オリンのなかから貧困地区の景色を目にすれば、いままで本から吸収した知識とはちがった「現実」(わたしの学問にとってなにより重要なもの)が少しは感じられるのではないか、と思っています。その現実が想像以上に過酷なものなのか、それとも、あの子どもたちの明るさのように、すこし新鮮な視点を与えてくれるものなのか、それはまだわかりません。

 

 ということで、お腹を痛めながらも、真面目に考えたりふざけてマリファナを吸ったりして(うそだということにしましょう)、いまの生活はすすんでいます。こんどのニュースレターでは、オリンでのもっと具体的な活動について報告していきたいです。

(2016年5月発行のニュースレターNo256より)