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この本をお勧めします! 「 日本とフィリピンを生きる子どもたち」ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン(あけび書房)野口和恵 著 

2016/01/30 11:04:28 ニュースレター
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ストリートチルドレンを考える会

紹介者・工藤律子

 自分をこの世界へ送り出した両親のことを知りたい。「子ども」のその欲求と必要性は、理屈では計り知れないものだ。この本で、日本人とフィリピン人のあいだに生まれた子どもたち=ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン(以後JFC)の現実を読んで、私の心に最も強く刻まれたのは、この事実だった。 

 ちょうど本を読んでいる最中に、ある友人がこんなエピソードを語ってくれた。

 3歳の頃に両親を失い、その後親戚や祖父母の手で大切に育てられた母親(現在101歳)が、100歳近くなったある日、ふと娘の彼女にこう言った。「私は3歳で親を失って、顔も覚えていない。とても不幸だった」。母親のそんな思いをそれまできいたこともなかった友人は、実の親がいない、実の親を覚えていないという事実が子どもに与える衝撃の大きさに、改めて驚かされたという。

 この話をきいた後にこの本を読み終え、改めて「親を知る」ということと、アイデンティティの問題の重さを想った。

 著者で、私たちの会の仲間である野口和恵さんは、この本の中で様々なJFC(その大半が、日本人を父、フィリピン人を母に持つ)とその母親が生きる現実と、そこに困難をもたらたしている日本の法律や日本人の父親の対応、フィリピン人やJFCを搾取する悪徳業者などの問題を取り上げている。それらはすべて、私たち日本人と日本社会に直接関係するものばかりで、誰もが知り、理解し、身近なところから取り組むべきものだ。個人的には特に、この「親を知る」ということが子どもの心や人生に意味するところをもっと想像しながら支援できないものか、と感じた。

 日本人の父親に認知されていない子どもたち、父親の顔をみたことがない子どもたちは、自分のことを「未完成」と表現するという。自身の存在が確立するには、自分が誰と誰の子どもなのかをきちんと知る必要がある、というのだ。生まれた時から両親と暮らす者には思いも及ばないことだが、それほど「自分」のアイデンティティには実親との繋がりが深く関わっているということだろう。父親に認知された、会えたということで、生きざま自体がぐっとポジティブになった子どもたちがいることを知ると、それが人間の本質に関わることだと強く感じる。むろん実の親子、家族ではなくても築ける、大切なものはある。が、それとは別の重要な要素が、「親を知る」ことにはある気がする。

 先述の友人の母親のように、物心つく前に親が亡くなってしまった場合、他人からすれば、あきらめがつくような気がするが、親を知らない、何もわからない、という思いは、どこかにいるであろう親に会えない場合と、さほど変わらないのかもしれない。まして、親が生きているのかどうか、どこにいるのか、自分をどう思っているのかなど、「わからない」ことだらけというのは、最も辛いことだ。今そばで支えてくれているおとなに愛されているかどうかに関係なく、その「わからない」は、子どもの心に暗い影を落とす。それは、「自分がわからない」と感じる時の苦しみに、似た感覚かもしれない。

 国籍の問題もそうだ。生まれた時から日本国籍を持つ者には、それが心情的、心理的な面で大きな意味を持つことは、海外に行く時以外、あまりないだろう。だがJFCたちにとって日本国籍は、日本に自由に出入国できる、日本で就労できるといった実務的な意味を省いてもなお、重大な意味を持っている。それは「日本人みたい」と言われる存在ではなく、「日本人の親を持つ日本人だ」と認められることに他ならないからだ。

 日本と異なり、多くの国では、子どもは両親の国籍を持つことができる。父親と母親が異なる国の人間なら、二つの国籍を持てる。考えてみれば、当たり前のことだ。おとなはどう思おうが、子どもにとっては、自分のアイデンティティを確立するために、どちらの親の国も文化も大切なものなのだから、両親の国に受け入れられて初めて、自分の生きる大地をしっかりと踏みしめられるということだろう。

 そんな子どもたちの思いを察することなく、自分たちの都合だけで「完全な日本人」以外を排除しようとする日本の国や法律、社会は、あまりにも非人間的だと言わざるを得ない。私たち自身も、意図的に排除しようとしたつもりはなくても、身近にいるJFCのような子どもたちの気持ち、その母親たちの苦しみや悲しみに、いかに無頓着だったかということを、反省しなればならない。

 JFCの子どもたちが抱える心の傷は、これまで出会ってきたストリートチルドレンのそれにもよく似ている。路上にいる子どもたちの中には、母親が海外へ出稼ぎに行ったきり、ほとんど連絡もくれないために、家庭でも学校でも問題を起こして路上へ飛び出した少年など、親とのつながりを断たれたために、自分を見失ってしまった子ども、愛情に飢えている子どもが大勢いる。

 海外の路上に暮らす子どもたちへの支援ももちろん大切だが、日本に生きる私たちには特に、このJFCの問題に関してできることが、沢山あるはずだ。それを知るためにも、まずはこの本を読んでみて欲しい。

(2015年11月発行のニュースレターNo250より)