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ニュースレター

「バハイ・トゥルヤン」再訪

2015/07/04 21:06:48 ニュースレター
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ストリートチルドレンを考える会

共同代表・野口 和恵

 今年5月、私は以前にボランティアしていたラグーナ州にあるNGO「バハイ・トゥルヤン」の定住ホームを2年ぶりに訪ねた。

 2年の間に住んでいる子どもたちの顔ぶれは様変わりした。高校を卒業し、遠方の大学に行った子もいれば、家族のもとに帰った子もいる。知った顔が少なかったのは、さみしくもあったが、それは喜ばしいことなのだろうと思った。

 以前にもこのニュースレターで書いたジャスペルは、まだラグーナにいた。初めて会ったときは、赤ちゃんのようだったジャスペルは、身長が私の肩くらいまで伸びていたため、後ろから見ただけではすぐに気づかなかったくらいだ。定住ホームには、34人の子どもが暮らしていた。ほとんどが女の子で、男の子はジャスペルのほかに、もう一人3歳のペドロがいた。朝食後の水浴びのとき、ジャスペルは自分で石けんを使って体を洗い、ズボンについた汚れを落としていた。2年前にはできなかったことだ。「自分で自然と学んだのよ」とハウス・ペアレンツは、ジャスペルの成長ぶりを褒めた。以前は、幼児のようだったジャスペルの体は骨格が目立ち、わずかにだが体毛も濃くなってきたように感じた。長い間、定住ホームのお姉さんたちにかわいがられてきたジャスペルだったが、別の場所に移るときが近いかもしれない。

 「バハイ・トゥルヤン」を巣立った子どもたちは、おおむね元気に暮らしているようだったが、気がかりになったのは、アンジェリカのことだった。アンジェリカは私がちょうどラグーナでボランティアを始める数日前に、定住ホームに入った少女だ。そのころは11、12歳だっただろうか。同じように新入りの私を見つけ、笑いかけてくれたときのことをよく覚えている。気丈にふるまい、私にタガログ語の歌を歌ってみせながら、家族のことを思って大粒の涙をぽろぽろ流したこともあった。私が担当していたジュニア・プログラムには、いつも率先して参加していた。やさしく素直でジャスペルのいちばんのお気に入りだった。

 彼女のルームメイトだった少女の話によると、そのアンジェリカは「バハイ・トゥルヤン」を去り、今は妊婦になっているという。わずかまだ14、15歳だ。しかも子どもの父親になる予定だった男性は、事故にあい亡くなったという。まだまだ子どもだったアンジェリカがシングルマザーになる姿は、とても想像ができなかった。毎日当たり前のように顔をあわせ、同じ時間を共有していたのが遠い昔のことのように思え、どう気持ちを整理していいのかがわからなかった。

 けれど、子どもたちとのつながりを再び感じることもあった。以前からいた子どもたちは、私が歌っていた日本の歌を今も諳んじていた。おやつに日本の白玉だんごをつくったことも覚えていて、「またつくってほしい」とリクエストがあった。私もそのつもりで、日本から材料を持ってきていたので、喜んで料理をした。(ただし、子どもの数が以前よりもはるかに増えていたので、急きょ市場に行って買ってきた小麦粉を混ぜてつくった)。

 初めて会う子どもたち、特にティーンエイジャーの子たちは、少し離れたところから私の言動をうかがっているように見えた。5年前にも経験した、新米ボランティアが受ける洗礼だ。当時は子どもとうちとけるまでに苦労したこともあり、また振り出しに戻った気分になったが、一緒に畑の草むしりをし、タガログ語のジョークに笑い声を立てると、ふっと空気が柔らかくなり、いろいろな質問が飛び出してきた。

 わずか2日間の滞在だったため、ようやく馴染んだところで別れを告げなければならないのは、もどかしいところだった。けれども、たとえ短い間であっても通い続けることの意味を感じた2日間だった。

(2015年6月発行のニュースレターNo245より)