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ニュースレター

北インド-ボランティアの旅

2015/01/23 20:23:57 ニュースレター
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ストリートチルドレンを考える会

 運営委員・上田 英二

 こんにちは、運営委員の上田です。ここ1年半の間に北インドと南インドに旅し、マザーハウスでボランティアをしたり、現地の子どもたちと触れ合ったりする機会がありました。そこで体験したこと、感じたことを、2回に分けて簡単に報告します。

 

 今回は、2012年12月と2014年2月に訪問した北インドの旅について、日記風にご紹介します。この会に入会してからアジア各地の貧困地域の子どもたちをめぐる旅をするようになりましたが、その中でもインドは特に異質に思え、安全や衛生面、さらには交通事情など、50代後半の初めての一人旅で大丈夫かとの不安がありました。しかし行ってみると、不思議と様々な場面で助けが現れ、何かに導かれるように目的の場所で奉仕をすることができました。

 

 最初についた北インドの玄関口コルカタでは、マザーハウスでボランティアをすることにした。夜明け前5時頃、マザーハウスへ向かい、シスターたちだけのミサに参加させてもらう。建物は通りに面していてトラックの騒音がひどいのに、不思議な静寂がある。ミサが終了したあと、建物内のマザーテレサのお墓に詣で、チャイとバナナと食パンの朝食に与る。シスター・ニルマラさんからボランティア許可証を頂く。

 

 世界中からのボランティアの人々、長期に継続している日本人女性たちを知る。この日はフランス人グループの人たちと、歩いてプレムダンという施設に向かう。プレムダンは比較的軽い症状の男女50名をケアする施設だ。水を撒き、屋外の掃除後、外で日に当たっている衰弱した患者たちにオイルを塗る。手、腕、足、背中・・・干からびている細い手足にオイルが吸い込まれる。全身イボだらけの人に丁寧に塗る。額に手をとって、渾身のお礼を返してくれる。

 

 午後からはそこで知り合ったオランダ人のヤンが、「死を待つ人の家」へのボランティアに連れて行ってくれた。カーリー寺院のすぐそばにある施設に着くと、施設のあれこれ、備品置き場のことを、ヤンが教えてくれる。これらを頭に入れておくことが、一人前のボランティアとして必要な事だ。せんたく、歩行訓練、排尿後のパンツの交換、食事介助、食器洗い、ベッドへの移動、と仕事が多く、ボランティアも少なく、結構大変。スタッフが「ブラザー」と声をかけ、様々な仕事を頼んでくる。大部屋の中で息を引き取りかけている人に酸素マスクをかけ、神父が十字架をかざしがなら祈っている。死が特別のものという感覚ではない世界がある。ベッドで苦しそうにしている人もいる。皆何かを訴えかけている。彼らのヒンディー語が理解できないのが悲しい。

 

 ここでは患者同士が話をするということが無い。一緒に仲良く座っているが、それぞれが自分の中に入り込んでいる。深い目で何かを訴えかけてくる人、心を閉ざしている人もいる。食事介助の時、「飢え」の苦しみに対する恐れ、そこから解放されたときの歓び、安堵のようなもの、を感じた。

 

 翌日の夕方、コルカタから列車に乗り、ヒンズーの聖地ベナレス(ヴァーナーラシ)へ向かう。ベナレスでは、「オンザロード」という日本人のNPOが組織しているマザーベイビースクールでのボランティアに数日間参加した。この学校はベナレスでも特に困難な状況にあるアウトカースト(不可触民)の子どもたちに、教育の機会を与えたいと考えた日本人の若者が立ち上げた組織であり、日本人の若いスタッフと現地インド人スタッフたちの少人数の手で運営されている。ここには、ベナレスを訪れる若者たちが活動に共鳴して、入れ替わり立ち代わりボランティアとして参加している。スタッフが常駐しているシバゲストハウスは、ガンガー(ガンジス川)のほとりにあり、近くにガート(川岸にある沐浴等に使うスペース)や食堂も多くあって便利で、ここに滞在し、共に活動した。部屋の窓からガンガーが見える。ただし窓辺に何か置くと、野性のサルが持ち去ってしまうので注意。この街にはサル、牛、犬などの動物が特に多く、普通に人と暮らしている。

 

 翌朝、みんなでガンガー対岸の不可触民居住区の学校へ向かう。スリルとサスペンスのオートリクシャでガンジス川に架かる橋を渡り、片道40分、土埃の道を通り、目的地区に入る。何も無い、粗末な土塀の小屋、水牛山羊がいる風景。女たちは一日中、家の前に座り手仕事をしている。主に牛を飼い、乳を搾ってわずかな収入を得る貧しい地区。親も学校へ行っていないため、家庭訪問で親を説得して子どもに来てもらうという。

 

 この学校では、2歳から15歳まで40名の子どもを3クラスに分けて教育。ヒンディー語、英語、算数を教える。ボランティアに参加する日本人にも何かを感じてもらうことも、活動の目的だ。学校に着くと、子どもたちが続々と集まってきて、ボールで遊び始める。始業前に整列し、唯一のインド人先生の号令の元、国歌を皆で斉唱する厳粛なとき。午前中は幼児たちのお絵かきを見守る。お昼、子どもたちはナンを一枚持ってきて食べ、歯を磨く。午後は英語と算数の授業をアシストする。途中で遅れてくる子や仕事のために来られない子もいる。子どもたちの真剣な学び、素直さ、優秀さを感じた。現地人ではない日本人が異文化の地で運営する事のむずかしさ、苦労がしのばれた。そんな中でスタッフたちは本当にがんばっている。

 

 ブッダガヤで数日滞在した後、再びコルカタに戻り、「死を待つ人の家」での奉仕。ある時、ここでずっとボランティアを続けている井上須美子さんに話をお聞きする。マフィアに売春をさせられエイズにかかり、使い物にならなくなった状態でここに収容され、息を引き取った若い女性のことや、子どもに捨てられた元弁護士の老人、施設の入り口に打ち捨てられた老人、駅から棒でたたき出される人、公的施設で面倒を見切れなくなり追い払われる人、様々な人がここにはいることを知る。

 

 約1年後の今年2月に、再びコルカタのマザーハウスを訪れた。変わりなくここでのボランティアを続けている友人との再会を喜び合う。ニルマラヒルダイ(死を待つ人の家)の2階から見るカーリー寺院、その雑踏の眺めは変わらない。やせ衰えた17歳の青年が車椅子で点滴を受けていた。咳き込み苦しそうな若者のせなかをさすり続ける。都会のきびしいインドの姿がここにはある。

 

 日本人から見たら、インド社会はどうしてこんなに快適さが少ないのだろう?と感じることばかりだと思う。絶え間ない喧騒、怒声、モスクの声、蚊、間一髪の運転、土埃、排気ガス、物乞い、路上生活者、ぼったくり・・・人が多く、きびしく、したたかで、しかしあたたかさが交じり合った社会だ。宗教とカースト制度とマフィア、巨大な格差、力弱い者が容赦なく扱われ、しかし深い霊性の働きが感じられる社会。その働きに魅せられて、世界中から人々が集まる。何年間もその働きの中にいたい、浸りたいと思わせる人々をつくる。そんなインドの印象が強く残った。

(2014年7月発行のニュースレターNo234より)