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ニュースレター

インドネシアのNGO訪問記

2015/01/14 15:06:52 ニュースレター
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ストリートチルドレンを考える会

運営委員 上田英二

2013年9月5日から18日にかけて、インドネシアのバリ島、スラウェシ島を旅する機会があり、バリ島で現地の障がい者支援NGOの活動に参加することができました。そこで体験したこと、感じたことについて記します。

 

バリ島はインドネシアで唯一のヒンズー教文化を守る地域で、そのことにも興味があったが、バリ島のウブドにスペイン人の女性(ベゴニア・ロペスさん)が運営する障がい者支援のNGO Kupu-Kupu Foundationがあることがわかり、さらにそのNGOは活動資金を得るためにバンガロー(宿泊施設)を運営していることを知った。そこでそこに滞在しながら、施設のボランティアに参加させていただき、スタッフや子どもたちと触れ合いながら、その方の想いや活動について知りたいと思った。

 

バリの空港からタクシーでウブドへ向かい、車が進入できない畦道を歩いた先の田んぼの中に、Kupu-Kupuバンガローはあった。4つのバンガローはスペインからの観光客で既に一杯だったが、なんとかその中の一つに泊まることができた。すでに夕暮れ時だったが、一面の田んぼの中にやしの木が生い茂り、様々な花々が咲き乱れる風景には、バリ独特のものがあった。熱帯地方にあるウブドだが、標高が比較的高いため、夜は冷えるので長袖のトレーナーを着込んで寝た。バンガローの屋根に深夜、小動物が乗って音を立てている。

 

翌日の朝、ベゴニアさんがバンガローに来てくれて、お話をすることができた。その日は週末で施設が休みのため、NGOのバンリ支部のマネージャーであるアリートさんが、バイクでバリの観光案内をしてくれることになった。

 

アリートさんは、20歳の時にベゴニアさんとバリで出会い、子どもたちのために働きたいと思い、ここで働き始めた。英語も手話もできるが、学校は出ておらず、すべて独習したという。バンリ支部の事務所の小屋を自分で建てたとのこと。観光でこの支部にも立ち寄ったが、静かな安心できる場所と施設で、とてもよい雰囲気だと感じた。

 

観光の後、Kupu-Kupuが運営するギャラリー(店舗)を訪ねて、買い物とおしゃべりをする。このギャラリーはウブドの中心部にあり、障がい者やそれを応援する人たちが作った民芸品や美術品、特産品を販売し、活動資金にしている。スタッフの若いマリアンも、足に障がいがあるが、とても明るく働いている。

 

ウブドの街は、ヒンズーの飾りがいたるところにあり、人々は実に信心深い。どの家も供え物を毎日かかさない。いたるところに祈りをささげる場所がある。万物に神が宿ると考え、見えないものを敬っている、熱心なヒンズー教徒たちだ。見るものすべてが古く奥ゆかしく、楽しく、なつかしい。

 

夕方、バンガローの北側にある散歩コースを回る。田んぼの中にやしの木が並ぶ美しい光景だ。農民たちが強い日差しの中、日曜でも懸命に働いている。その中を西洋人たちがゆったりと回る。植民地とはこういうものか、と思う。バリでは欧米の観光客と現地住民とのコントラストが際立った形で現れ、様々なことを感じさせてくれる。モンキーフォレスト通りでは、ストリートファミリーを見かける。物乞いをさせられる子どもたち。どのレストランでも客は外国人ばかりだ。現地の人には値段が高すぎるのだろう。

 

夜はベゴニアさんの案内で、スペイン人のゲストたちと共にレゴンの踊りを見る。観光案内もNGOの仕事の一つで、活動資金にしているという。バリならでわの方法だと思う。夜道を懐中電灯で照らしながら、歩いてバンガローに戻る。

 

翌日からKupu-Kupu Foundation本部へ徒歩で通う。本部のある施設は、ウブドの中心から少し北側に入った静かなゆったりした環境の中にある。毎朝NGOのマイクロバスが障がい者の家々を回り、ピックアップしてくる。この施設で昼食をはさんで学んだり遊んだりして、丸一日を過ごした後、再びバスで送り届ける。

 

Kupu-Kupu(クプクプ)とは、インドネシア語で「蝶」の意味だ。蝶のように羽ばたいてほしいということなのだと思う。朝、施設に着くとちょうど子どもたちがマイクロバスから次々と車椅子のまま降ろされてくるところだったので、それを手伝う。その日は10歳から15歳の子どもたちが中心で、障がいの程度は様々だが、手と足に障がいがある3人の男の子と女の子、ダウン症の子、知的障がいのある成人が来ていた。一つの教室で共に過ごしながら、3人の女性のスタッフがそれぞれに応じた学習や遊びの世話をしている。

 

午前中は、持参した折り紙の作り方をひとりひとりに教えた。障がいの状況に応じて支援のメニューをつくり、工夫しているという。障がい者でも運転できる3輪バイクも、ここで開発した。活動を学ぶためにスペイン他各国から人が来るという。(ちょうどオーストラリアのある支援団体が、バンリ支部に見学に来ていた。)

 

ベゴニアさんはもともとソーシャルワーカーで、スペインで看護の仕事をしていたが、バリが気に入り、ボランティアで訪れた公営の介護施設の営みのひどさ、子どもたちが放置されている状況に衝撃を受けたという。最初はそれでもボランティアや寄付をしていたが、やがて障がい者が人間らしく扱われ、人間としての喜びを感じられる時をもてるような施設を、自分で作ることを決意したという。そして、バリ現地で知り合った協力者(現在の夫であるマデさんやスタッフのアリートさんなど)と共に2000年に、このNGOを立ち上げることができたそうだ。


このNGOの活動がスペインのテレビでも放送されたことから、多くのスペイン人が来るようになり、バンガローの運営、観光で集まる資金も増えてきたという。たまたま出会った障がい者の置かれた状況に心が揺さぶられて、すべてをこの活動にささげているベゴニアさんは、バスク地方から来た、やはり愛の人だ。

 

手足に重い障がいがある10歳のワヤン、デオワ、サトリアンの笑顔は最高だ。午後はゲームと散歩。3人の少年の車椅子を代わる代わる押して、20分ぐらいかけて寺院や住宅の周りをゆっくりと回る。みんな心から楽しんでいる。男の子だから外に出て景色を見たり動いたりする、活動的なことが大好きだ。近所の人たちに挨拶をすると、みんな笑顔で応えてくれる。翌日は送迎バスが使えないため、3人はこの日はここに泊まるという。

 

ベゴニアさんの一人娘のネルも、小学校から帰ると施設に来て皆と遊ぶ。ネルは8歳にして英語、スペイン語ができて、子どもたちと家族のように遊んでいる。将来はきっとベゴニアさんの後をついで活躍してくれるのだろう。スタッフも含めてみんなが家族のようになっている。

 

次の日もFoundationへ行き、3人の子どもたちと過ごす。子どもたちは普通のいたずらっ子となんら変わらない。最も症状の重いサトリアンが一番の悪がきだ。甘えん坊のデオワ、思慮深く音楽に興味津々のワヤン。言葉が通じないのが残念だ。

 

帰る時刻がせまるころ、車椅子でやり場のない怒りをぶつけるかのようにいたずらをするサトリアン。彼らがどんなところに帰るのか、私は知らない。みんなとお別れする。また来たい、と思った。

 

社会の役に立たない、人の役に立たない、世話ばかりかかる人間とみなされてしまう知的、身体的障がい者は、このような国ではとても過酷な状況におかれてしまうのだろう。消費文明に浸りきった先進国の人々が、様々に快楽を求めるこのウブドという街で、それをたくましくも活用し観光業を営みながら、その収益で愛の行為を続けようとしているKupu-Kupuの人々。現代社会の価値観のままに、その中にすっぽりはまり込んで障がい者が生きてゆくのはつらい。だから本当は、この価値観ではない社会を追求するような営みの中で生きられるようになればいいのだろうけれども...。天使だけれどもいたずらもする子どもたちのように、この現代社会のシステムの中で様々な矛盾を抱えながらも、いたずらっぽくKupu-Kupuの活動は続けられている。

 

帰り道の農道で、前の晩にヒンズー寺院の境内で見たケチャダンスですばらしい声をきかせてくれたおじさんに出会った。普段はそこでココナッツジュースを売っているという。

 

翌日はバンリの施設へ行く予定だったが、ふとしたことからお腹をこわしてしまい、迷惑をかけるので中止することにした。予定を変更してバンガローで休んでいると、ベゴニアさんが来て家に連れて行って、おかゆを食べさせてくれた。作ってくれたのは日本のおかゆと同じものだった。ゆで卵がついている。家族で気遣ってくれるなか、美味しくいただき、消耗した体にエネルギーが満ちるのを感じた。

 

バリでは様々なヒンズーの文化に触れることができる。それも楽しいけれど、やはりここでも、一番は子どもたちの笑顔だった。ひとりひとりの子どもの笑顔は忘れない。バリという観光の場所で、社会の片隅、目に見えない所に追いやられてしまう障がいを持った人たちとそれを支える人たちのことを、忘れません。
 

(2014年1月発行のニュースレターNo228より)