つながりの生まれる場/クリスマスパーティに参加して

 運営委員・黒田夏香
  共同代表の工藤律子さんからお誘いを受け、また新しいつながりを求めて参加しま した。この最大の目的は、十分に達成されました。これからことあるごとに、皆様と 関わっていければと思います。   
 パーティの内容に入る前に、会場である「がんばれ!子供村」について一言。部屋 のポスターに書いてある「NPO法人やボランティア団体向けに会議室を無料で貸してい る」という文を読んだとき、感銘を受けました。「場所」というのは、先述のような 組織にとって、活動をするうえで大切な要素のひとつなので、このような方針を持っ た場所の提供者がこれから増えていくことを願ってやみません。 
 今回が、「ストリートチルドレンを考える会」のイベントへの初参加でしたが、主 催者の方々は皆さん親しみやすい方で、何の緊張感も持たずに自然体のままパーティ に参加できました。このような開放的な雰囲気を持っているからこそ、様々な年齢、 様々なバックグラウンドを持った方が参加し、一方で、何か強い芯を持った方々の集 まりになれたのだと思います。ほかの参加者の方々も、みな思い思いに有意義な時間 を過ごされたことと想像します。
   今回初めて存在を知り、初めてお会いし、(当然これも知らなかったのですが)学 部は違いますがスペイン・バルセロナの大学院の先輩でもある宇野和美さんが邦訳さ れた4冊での絵本シリーズ「あしたのための本」は、絵本でありながら、だれもが読 んで心動かされる可能性がある作品だと思いました。このシリーズの一冊、「格差社 会はどこから?」を、宇野さん自らがパーティの冒頭に朗読してくださり、この会の 核の部分を明確に感じ取ることができました。
 ほかの3冊も読みたいと思いましたが、今回、所持金が足りず、2冊しか買えませ んでしたので、次回、残りの2冊を買おうと思います。
   まじめな部分も持ちながら、楽しいこともしようというのが、この会の特徴の一つ だと思います。少し頭を使った後は、体を動かそうということで、メキシコの「お菓 子が入ったくす玉割り」大会に入りました。ただ遊ぶのではなく、くす玉割りを行う 前に、この遊びがどのような経緯でできたのかを、メキシコ出身のシルビアさんから 説明してもらいました。もともと、罪や煩悩(この場合、お菓子)が入ったくす玉を 破ることで、神に対し、私たちはそれらに打ち勝ちます、と示す行事だったそうで す。その意味をかみしめながら(?)、お菓子という「煩悩」が入ったくす玉を一人 ひとり、安全のためにテープを巻いたスキーのストックで、3回ずつ打っていきまし た。ちょうどひとまわりした時にくす玉が割れて、お菓子が撒かれ、参加した4歳児 とのお菓子争奪戦を繰り広げることになりました。
   食事は、手作りで、この会が特に深くかかわっているフィリピンとメキシコを中心 とした料理をいただきました。どれも非常においしく、特に、パンやトルティージャ にのせて食べるアボカドをつぶした料理Guacamoleは、和風のアレンジでゆずの香りが 効いていて、個人的には一番好きな味でした。食べながら話しながらの2時間半は、 あっという間にすぎてしまいました。本当に幸せな時間でした。パンも持ち帰らせて いただいて、感謝しかありません。ありがとうございました。

(2020年1月発行のニュースレターNo300より)

アフリカ大陸ウガンダより その1

てんかんと難民の女の子の未来

運営委員・レブロワ マリヤ
  嬉しさの中で無力さを感じたことはありますか? 唐突な質問ですみません。私がピースウィンズ・ジャパン(
PWJ)のウガンダ北部事業の業務調整員に就任してまもなく、無力さを感じたのは、PWJがウガンダ北部で建てたシェルター(仮設住宅)のアセスメント(利用者に関する情報を収集・分析し、自立した日常生活を営むために解決すべき課題を把握すること)の時でした。裨益者である「てんかん」を持っている女の子がなぜ新しいシェルターで一人で寝ているのかと、保護者の女性に聞いたところ、「一緒にいると攻撃的で危ないし、病気も感染るから」という返事に、唖然としました。てんかんは感染病ではないですし、痙攣がある時はむしろ身近な人から患者へのサポートが必要です。その場では、「感染病ではないですよ」と言って、それが伝わるようにその女の子を抱きしめましたが、一回言ったところで何も変わらないであろうという無力感を覚えました。
 「難民コンテクストにおける患者及び患者の家族の社会経済状況への癲癇の影響」について個人的に研究している同僚のプロジェクトオフィサー、エマヌエル・ロギエールに聞くと、その女の子のケースについて記事を書いたということだったので、ここでご紹介いたします。

 女の子の名前はクリスチーンさん(
14)。南スーダンのジュベック州出身で、幼い頃に両親を亡くし、お兄さんとお姉さんと一緒にてんかんと戦ってきました。2016年、銃声を頻繁に聞くようになり、無差別殺人が村へ及びそうになった時、兄や姉と離れ離れになって、ウガンダへ逃げました。転居を繰り返した末に、お兄さんと再会し、現在はウガンダ北部のとある難民居住地区で、お兄さんの家族の家の敷地内に住んでいます。
 てんかんは、治療すれば治る確率が高い病気です。しかし、てんかんを患っているせいで、クリスチーンさんは様々な困難に遭ってきました。例えば、ウガンダに着いた際、最初はオムゴというところに住むことになりましたが、てんかん用の薬がなかったので、インヴェピというところへ転居させられました。そこでは、お姉さんと再会できましたが、痙攣を見たお姉さんの旦那さんが出て行くようにと言い、また転居となりました。

 こちらではてんかんに関する知識不足のために偏見が多く、クリスチーンさんは、感染するという理由で、親戚と同じ家に住んだり同じ皿から食べたり、嗜好品であるヤギ肉を食べたりすることを許されていません。治療薬としてコミュニティが提唱しているのは、象の尿や茹でダチョウ肉の油の服用、川に住む黒い鳥を食べることですが、どれも薬としての効果がないうえ、入手が無理なものばかりです。

 クリスチーンさんは小学校にいったん通い始めましたが、上記の偏見のせいでほかの生徒と喧嘩し、学校に行けなくなり、今も学校に通っていません。その代わり、毎日家の中の掃除や水汲み、食器洗いなど、すべての家事をやっています。

 PWJがクリスチーンさんに出会ったのは、ジャパンプラットフォーム(JPF)の資金で実現した、特定の支援が必要な人々(Persons with Specific Needs)のための「日干し煉瓦造りのセミパーマネント・シェルター」支援の裨益者を選定した時でした。ドアと呼べるものもなく、ターポリンと呼ばれるプラスチックシートでできた小さな緊急用シェルターに一人で寝泊まりしていたクリスチーンさんが、対象に選ばれました。現在、新しいシェルターが完成し、クリスチーンさんはこう語っています。

「私はPWJのシェルターができて、とても嬉しいです。十分なスペースがあり、ドアもあり、やっと夜はドアにカギをかけることができます」 

     PWJ支援前の家                                   PWJが建てた家 

 彼女は、このシェルター支援のお陰で、これからもっと安全で、もっと快適な住居に安心して住み続けることができます。しかし、それで彼女の未来は明るいものになったのでしょうか? コミュニティや家族の偏見のせいで、学校に行けず、家事ばかりしている彼女は、病気さえ治すことができれば、教育や職を手に入れることもできます。病気を治すには、家族や学校を含めたコミュニティへの継続的な知識の普及・啓発活動が必要です。PWJはウガンダ北部で保健事業をまだ行っていないので、それは保健事業の専門団体や行政の任務なのですが、現時点ではまだ専門機関からの手は差し伸べられていません。

 彼女のケースはとても勉強になり、考えさせられるものでした。PWJにできることは、クリスチーンさんのようなケースでシェルターを裨益者に引き渡す際には、てんかんの実像について語ることと、保健事業を実施している団体などに支援を訴えることでしょう。個人的には、保健事業の専門団体に彼女を紹介しましたが、今後どうなるかまだわかりません。これでもクリスチーンさんの状況はまだマシな方です。彼女のような人は、誰にも探し出されることなく、支援がないまま、偏見の中で暮らし続けています。彼らが遭遇している問題は、想像するのも怖いものです。

(2019年12月発行のニュースレターNo299より)