チードなまいにち















運営委員・高橋 茜
わたしは現在、メキシコシティにある「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ(以後、プロ・ニーニョス)」というNGOが運営する定住施設で、ボランティアとして働いています。考える会のメキシコ・スタディツアーで同団体を訪れたことがきっかけで、今は週5日、朝から夕方まで働いています。同団体は、メキシコシティの路上で生活、あるいは1日の大半を過ごしている少年たちが、より良い人生を選択できるように活動しています。定住施設は、路上での生活をやめ、自立した生活を営むことを決断した少年たちが一時的に生活する施設で、「カサ・デ・トランシシオン(移行のための家)」という名前で呼ばれています。通常2〜3人のエデュケーターが常在し、少年たちの生活を見守ります。少年たちは、それぞれ仕事や学校に通っており、施設は文字通り、「家」の役割を果たしています。家の中で役割分担があるように、わたしたちの施設でもそれぞれに役割があり、掃除や整理整頓がしっかりと個人の責任で行われます。  

先日、「家」が果たす役割について考えさせられる出来事がありました。朝出勤すると、いつもは痛いくらい力強く握手をして挨拶をしてくるダビ少年が、全く元気がなく、朝食にも手をつけずに、体の調子が悪いと訴えていました。早く病院に行かなくては、と他のエデュケーターと少し調子の悪そうなもう一人の少年と一緒に、近所の病院に行くと、ダビは感染症にかかっていることが判明。処方箋をもらったはいいものの、近所の薬局には薬の在庫がなく、何軒もまわってやっと薬を手に入れました。薬を飲むとだいぶ症状が軽くなるようで、数時間後には起きて果物を食べられるほどまで回復しました。これは、日本に住むほとんどの人には普通のことかもしれません。病気になったから、病院に行って薬をもらう。その薬を飲んで回復するまで休む。一見当たり前のことですが、路上に生活する子どもたちにとっては、そうではありません。定住施設には、病気になった少年のことを心配する他の少年たち、肩を貸して一緒に病院まで付き添うエデュケーターがいます。これは、家族や親しい人々が構築する「家」に代表される関係に、とても似ているのではないかと思いました。  

周りの人々が病気を治すためにしてあげられることは、ほとんどの場合、あまりありません。しかし、少しのことしかできない場合でも、「心配している」という気持ちを感じることが、どれだけの違いを生み出しうるかということに、気づかされました。それは、路上生活では感じることが難しい、「自分は大切にされている」という気持ちであり、「自分には人間としての価値がある」という実感なのではないかと思います。  

プロ・ニーニョスには、路上生活を送る子どもたちが昼間だけアクティビティに参加しにくるデイセンターがあります。そのデイセンターの壁には、2つの文章が書かれています。¨Los niños no son de la calle, son nuestros¨ (子どもたちは路上に属するのではなく、わたしたちの子どもたちだ) 、そして、¨El niño merece más que la calle¨ (子どもには、路上以上にふさわしいものがある=路上暮らしではない、まともな生活をできるのが当然である) というものです。子どもたちが、どれほどの実感を持って施設でそのように感じているかは、知るすべもありませんし、子どもたちに物理的な「家」を用意してあげることが、わたしたちの仕事というわけでもありません。しかし、わたしたちが毎日積み重ねるようにできることは、子どもたちのための仕事をしている時に、「わたしたちにとって、子どもたち全員がとても大切である」という気持ちを添えることではないかと、感じています。それは、エデュケーターや調理のおばさん、そして子どもたちみんなで大きな家を作るようなものではないかと思います。例えば、わたしはメキシコシティに知り合いはほとんどいないし、家では一人寂しく過ごすしかありませんが、施設で働いている時は、自分が大きな家族の一員となったような気持ちで働くことができています。子どもたちは少しのことでも、感謝の気持ちを言葉にしてくれるし、わたしたちもそのようにしています。目には見えないものですが、一人ひとりが少しずつ持ち寄って大きなものを作っている、そんな感覚があります。  

メキシコシティでは、観光地とは程遠い環境で生活していますが、先日は久々に観光客に紛れ、チャプルテペック城内の国立博物館に行ってきました。チャプルテペック城は、メキシコ皇帝であったマキシミリアーノが住んでいた城で、現在は周りを取り囲む公園とともに保護されています。そこにはメキシコ革命時の洋服や絵なども飾られており、さながらメキシコの歴史の教科書の中に入ったようです。そこで見つけたのが、ある絵の写真です。国境は描かれておらず、それぞれの地域の特色を交え、先住民の人々の暮らしの様子が描かれています。この絵や毎日の新聞を眺めながら、現在の国境や一つひとつの国々の保護主義的な政策に思いを巡らせ、国同士が共存する関係を築くにはどうしたらよいのか考える毎日です。 (2017年2月発行のニュースレターNo265より)

チャリティ・ラテンクリスマスパーティの報告

逢坂郷実(会社員)

 私は友人(小宮山純さん)に誘われて、今回のパーティに参加した。楽しみではあったが、私は工藤律子さんの本を友人から借りたばかりで、具体的なことは何も知らないまま、会場のドアを開けた。すると、目の前で、ラテンではおなじみの、お菓子の入った頑丈なくす玉をみんなで歌いながら叩き割る、「ピニャータ」の準備をしていた。

 到着してすぐ、愉快な歌とともに、私が一番にピニャータを叩き割るのにトライすることに。テレビで見たことはあるが、実際叩いてみるとびくともせず、驚いた。何度かみんなで交代しながら叩き割ると、大量のお菓子と一緒に、潰れたバナナが飛び出してきた!スタッフの方がバナナを入れていたらしく、お腹を抱えて笑ってしまった。

 そんな始まりですっかり楽しくなり、自己紹介を終えた後、ラテン料理とお酒とともに、スタディツアーや旅行、ボランティア、仕事、恋愛、結婚、様々な話題を楽しく、真面目に話した。初めまして、の方々ばかりだったのに、参加者はみんなオープンに、素直に楽しく会話をしてくれて、妙に安心しながら、私も会話を楽しんだ。素敵な経験をしている方が多くて、会話に夢中になっていると、あっという間にパーティが終わってしまった。

 今思うと、あの安心感は、飾らずオープンで、素直にとびきりの笑顔で話してくれる。まさにラテンな空気がそこにあり、それが心地よかったのだと思う。また、自分と社会について、何かを感じて動いている、そんな人と出会え、共感し合うことができたのが、嬉しかったのだと思う。

 そんな余韻が残る中、友人に、「参加して良かった、誘ってくれてありがとう」と伝えた。そして、「また行こう」と約束している。

 

小宮山純(自営業)

 ニュースレターを読んでいただいている皆さん、はじめまして、小宮山純と申します。先日のチャリティ・ラテンクリスマスパーティでは、ピニャータのかけ声と同時に参加し、持ち寄った各国の手作り料理を食べたり、普段から様々な活動をされている参加者との出会いがあったりと、とても楽しい時間を過ごすことができました。

 なかなか割れないけれど、大人もついはしゃいでしまうピニャータや、メキシコのモーレソースを使った肉料理等は、クリスマスの気分を一気に高めてくれました。今回は、工藤さんの『ルポ 雇用なしで生きる-スペイン発・もうひとつの生き方への挑戦』を読ませていただいていたこと、それと工藤さんの書くブログを読んでいたことをきっかけに、大学時代の友人との参加を決めました。誰かが見ているとはあまり思っていなかったと話されていた工藤さんでしたが、この会の後、すぐにブログを更新していただいたようで、これからも工藤さんの本、ブログともに、楽しみに読ませていただこうと思っています。

 当日は、初めて参加させてもらった場で、また初めましての人ばかりの環境だったにもかかわらず、時間の経過をあっという間に感じるような、楽しい会でした。限られた時間の中で、当日お話できなかった人もいて、それが惜しいところです。

 これまでの個人的なラテンアメリカ諸国との関連では、グアテマラでの語学留学とメキシコでの旅行の経験があります。参加者の中には、ラテンアメリカ諸国を旅したことがある人がいたり、ストリートチルドレンへの支援活動を何年も続けている方もいたりと、興味、関心が重なることも多く、沢山の話題を一気に共有させてもらったような時間になりました。

 普段は山梨県に在住で、なかなかそうした機会がない自分としては、思い切って参加してみて良かったと思います。今回できた人との繋がりが、一番のクリスマスプレゼントになったのかな、とも思います。またこういった機会があれば、ぜひ参加させてもらいたいと思っていますので、会員の皆さん、当日参加されていた皆さん、これからもよろしくお願い致します。ムーチャス・グラシアス(どうもありがとうございました)! 

 

(2017年1月発行のニュースレターNo264より)