この本をお勧めします!「マラス 」工藤律子 著

紹介者・高橋 茜(運営委員)

 中米の国ホンジュラスで若者を中心とした犯罪が増え、治安が悪化している、という話は以前から聞いていた。特に、麻薬や人身売買が絡んでいることは、ラテンアメリカ地域の犯罪にはよくあることで、この本を読むまではそういったことを見たり読んだりしていても、そうなのねーというような他人事的な感情しか生まれなかった。だが、「マラス」を読了して強く感じたことは、遠くに見える彼ら一人ひとりの存在が、私たちや周りの人々と全く同じように現実的で、ある意味でとても人間らしい人間なのだ、ということである。

 いわゆるネタバレを避けるために、本の内容について具体的に触れることはここではしないが、ギャング団「マラス」の一員として言動が冷酷そのもので、いくつもの残忍な犯罪に手を染めてきた人々が、感情を見せ、自らの行いについて自分で考え振り返る姿は、たとえ貧しくて教育を受けていない、社会のネットからこぼれ落ちてしまった人々であっても、そのきっかけと意志さえあれば、新たな人間としての生き方を選択することができるという希望を、具現化しているように思えた。

 もちろん、文章中でも触れられているように、全員が仕事と教育(ここに移民としての権利が加わる場合もある)を得て、社会に出ることができるわけではない。しかし、様々な方法でできるだけのことに全力で取り組んでいくという、ホンジュラスやメキシコのNGOや教会の姿勢には、そこで働く人々が、人は変わることができるという信念をどれだけ信じているかを、見ることができた。ギャングになってしまったら、もう私たちとは違う人間だから仲良くするのとか無理です、と突き放してしまうのではなく、時に失敗しながらもNGO職員や聖職者たちがそれぞれの役割で、文字通り、必死に社会へまた人々を迎え入れようとしている姿勢には、私たちのような周りにギャング集団がいない国の人間も、学ぶべきものがあると感じた。私たちが、自らの世界の外部に置いてしまっている人たち、貧困や複雑な生活環境に苦しむ人たちを、私たち自身が外部から内部へ積極的に招き入れ、共存を目指すことが重要であるのは、日本でもホンジュラスでもさほど変わらないのではないかと考えた。

 また、私が「マラス」を読んで驚かされたのは、宗教の力だ。私自身はカトリックで、ラテンアメリカ地域の大多数の人々と信仰を共にしているが、宗教が人々を変えることにここまで大きく影響しているということに驚き、そして感動した。文章中で、ギャングとして重大な犯罪を犯した人々に、元ギャングの牧師が、「死に値する罪を犯した者がここで今生きているのには理由がある」と説く場面がある。これには、彼の犯した罪は責められるべきではあるが、その人一人ひとりの存在そのものは、常に肯定されるべきであり、人々は「生まれ変わる」ことができる、という考えが詰まっているように感じられた。それは彼の人生そのものであるとも言えるし、説教を聞いている囚人たちの未来の姿を示唆するものであるとも言える。

 加えて、マラスに対抗する「作戦」として政府や警察は、マラスのタトゥーをしている者は見つけ次第逮捕、もしくは「殺害」というギャングそのものが行っていることと大して変わらない方法を取っていることが、知られている。私はこの作戦が、確かにギャングを数として減らすことには貢献しているが、ギャングの問題の根本を解決していないのは、憎悪や暴力を、さらなる憎悪と暴力で押さえ込んでいる構造があるからだと考えた。この構造は増長を生みやすく、人々が自らの人生について考え直し、「変わる」ことを考える機会を減らしてしまうほか、ギャングは掃討されるべきという、ただ一点の立場でギャングと接する危険性をはらんでいると、考えた。

 毎日若者が殺されていく地域で、人々が変わるのを信じる、憎悪と暴力をそのまま返さない、様々な方法で罪を償う人を許すというのは、簡単なことではないだろう。しかし、「マラス」で描かれている、それらをゆっくりではあるが進めていく人たちにこそ、ギャングとは程遠いであろう日本の人々が、学ぶべきことがあるように感じた。

(2016年12月発行のニュースレターNo263より)