鶏におこされて
瀬尾真志(半漁師、半会社員)
鶏の声で目覚める。ぺンション・ナティビダッドの朝。シンプルで清潔な部屋だ。テレビなし、エアコンなし、安っぽい額縁の絵なし。朝起き鳥の飼い主は、この宿の向かいに暮らす路上生活者かもしれない。
3階の部屋から階段を降りていく。無垢の一枚板の階段だ。モップで手入れが行き届いている。この宿はまるで美術館のように心が落ち着く。踊り場からロビー、エントランスまで絵画が飾られている。額装やレイアウトもいい。『お花畑』、『マンゴーの籠を担ぐ女たち』、『椰子の浜辺と舟』、『茜色の風景』、『聖母像』『最後の晩餐』、『網を曳く漁師』、数点の壺…。
朝6時はまだうす暗い。ロビーでは、スマホや端末画面が光っている。まるで飛行機のコックピットのようだ。椅子にもたれかかりニュースをチェックしている人。スケジュール確認をする人。PCに向かってスカイプで会話する人…。
食堂のサイドテーブルに小ぶりのバナナがある。ほんのり赤く食べごろだ。バナナ皿の上にバナナの油絵がある。まるで路地に眠る子犬や子豚が横たわるようだ。毎朝、私はオムレツプレートを注文した。甘酸っぱいソースとバナナケチャップをかけて、山盛りサラサラごはんと食べる。フィリピン珈琲があっさりと美味だった。アキノ大統領がコーヒー栽培を推奨し、フィリピン珈琲が美味しくなったという。
ストリートチルドレン・スタディツアーの一日が始まる。街へ。
- ソーシャルワーカー、ティーチャー、シスター、ブラザーの奮闘
NGO施設を訪ねる。有志が路上の子どもたちに手をさしのべる活動をしている。子どもたちに、おとなが寄り添うことであった。カトリック教会、個人やグループ、企業が支えている。シスターが話してくれた。「一番大切なことは、子どもたちに日常生活の基本を教えることです」。これを一心に子どもたちに伝えていた。朝はきちんと起きて、歯を磨き、髪や身なりを整えましょう。学校へいって、一生懸命勉強しましょう。暮らしの基本が大事なのだ。
- 少年生活支援学校(施設)を訪問する
NGO「パンガラップ・シェルター・フォー・ストリートチルドレン」を訪ねた。12才から17才の男の子が寝起きをしていた。思春期ド真ん中、ふつふつとした問題を抱える年頃だ。子どもたちは明るい。礼儀正しい。施設内を案内してくれた。中庭、休憩場所、寝室、ロッカールーム、ロッカーの中、ぜんぶ見せてくれた。きちんと整理されている。折り紙やバトミントンに夢中になる子どもたち。白い歯、きちんと整えた髪が印象的だ。この施設には、歯医者さんがいる。近所の床屋さんが、毎週ボランティアで整髪してくれるという。
この施設の出身者のA君に、インタビューした。シーマン(船舶業従事者)を目指し、奨学金を貰って大学に通っているという。私は幼いころ、鯨の研究をしていた叔父に憧れた。絵本『シンドバットの冒険』をなんども読み、船乗りになりたかった。貨客船に乗込み、世界旅行を…私の計画は未遂に終わる。ここでは多くのストリートチルドレンの男の子が、船乗りを目指すのだ。両親や兄弟を経済的に支えたいという。学校に通い、奨学金をとって、ハイスクール、カレッジへ!
- あいさつと自己紹介
毎日、私たちはマニラの町を徒歩とジプニー(乗り合いバスのようなもの)で移動し、NGOの活動現場に向かう。まず、あいさつだ。リーダーの工藤律子さんは旧友とハグを交わす。再会の喜びを確認し合う瞬間だ。神々しい瞬間であった。そのあとは全員の自己紹介である。マニラの8日間、私は挨拶、挨拶、挨拶、自己紹介をくりかえした。
I am Masa
From Tokyo
I am a fisherman
in the morning, after that…
working as a businessman
in Tokyo
なんとなく、ピコ太郎のリズムになっていく。フィリピンでもピコ太郎をみな知っている。私が自己紹介を終えると、シスターたちは大騒ぎ「Masaは子どもたちみんなのお手本よ。ふつうの人の2倍働いて頑張っているの。みんなもがんばりましょう」。
子どもたちに大うけだった。私は、サラリーマン生活が約30年になる。15年前から早朝に地元の漁師の手伝いをしている。「半漁半サラ」の暮らしを続けている。だが、現実は、会社でも浜でも苦戦中だ。「仕事はつらいよ」なかなか一人前になれない。
- 伸びる手
マニラの道端で印象に残るもの、ひとつめは、人ごみから伸びてくる手。シスターから言われた。
「子どもたちは手を伸ばして、目をつぶり、あなたの眉間あたりに手をかざしてきます」
挨拶なのか。もっと心の底の何かを感じた。寄り添いのメッセージなのだろうか。すぐ肌の隣の感覚があった。ソーシャルワーカ―は、「子どもたちには、お金や物をあげないでください」という。街を歩いていると、たびたび物乞いの手がのびてきた。心あらずの手だった。
- 眠る人
マニラの道端で印象に残るもの、ふたつめは、眠る人と眠る動物たちだ。路上で、岸壁で、リキシャのサイドカーで、スラム街の階段の片隅で、人が眠っている。犬が道端で横になっている。猫が眠る。豚が眠る。伊藤若冲の日本画から飛び出してきたようなスタイルのいい鶏が、籠の中でおとなしくしている。大人も子どもも横になっている。熱帯の気候のせいなのか。家の無い人たちなのか。無気力な人、希望がない人、病気の人なのかもしれない。横たわるものたちは、あまり身の危険やストレスを感じていないようにもみえた。東京のサラリーマンやOLの顔を思い出した。超満員の通勤列車で、吊革を握りながら揺られ、眠る姿を。
- ココヤシの村で
日曜日、郊外のココヤシ園へ小旅行にいく。ここにも元ストリートチルドレンの男の子の学び舎があった。子どもたちに案内される。まずはパフォーマンス付のあいさつと自己紹介があった。ココヤシナイフで椰子の実を割って、ジュースや果肉を食べた。フィリピン珈琲に粽をいただいた。糯米をココナッツミルクで炊き、バナナの皮で包み蒸したものだ。ココナッツオイルの製造を見る。ココナッツの実にオイルを塗って、ゲームをする。川遊びしてお散歩。ココナッツづくしのフルコース、休日を堪能した。
土埃の道を歩いていた。突然、目の前でバスケットボールがはねた。バスケは、フィリピンの子どもたちに一番人気のスポーツだ。ボールの空気が抜けているのか、いびつに跳ね、草むらにころがっていった。それは、頭上十数メートルから落ちてきた椰子の実だった。ひやり、である。路上にて。こんなことも起きるのだ。宿に帰り、新聞を読む。『The Manila Times』によると、日本海に4発のミサイルが落ちたという。
マニラの夕陽は見事だった。日の入り前、NGOの人々は子どもたちが生活をする公園へ、夕ご飯の配給に向かう。生活の基本を、IT端末やポスターを使って子どもたちに教える。ハンバーグ、炒飯、パンなどをもらって、公園で夕餉の時間を楽しむ。半分を食べ残す子どもがいる。親、兄弟に分けてあげるのだという。家族思いだ。
今のフィリピンは、戦争直後70年前の日本と似ているといわれる。フィリピン人の平均年齢23歳。人口は1億を超えた。1千万人が海外で働く。ストリートチルドレンたちにも、「家族が大好きで、ぼくたちが、妹や弟を支えなければ」という使命感が、強く感じられた。
子どもたちと触れ合い、いろいろな学びがあった。身近で困っている人に寄り添うこと。現場を自分の目で見ること。よく眠ることの大切さ。もっとゆったりとかまえて生きていきたい。大きくなった子どもたちと、どこかの海で再会できたらうれしい。
(2017年3月発行のニュースレターNo266より)