*中米グアテマラの地元メディアの記者が、現地の子どもたちの様子をレポートします。
現地記者 ハイメ・ソック
たった2ヶ月でこの世を去った赤ちゃん
11月のある夜、グアテマラのケツァルテナンゴで、生活に困窮していたある家族が、外で一夜をすごそうとしていました。家族は、ホンジュラス出身のお父さんとお母さん、そして3人の子どもたち(上から8歳、6歳、2か月)の5人でした。
ケツァルテナンゴは標高が高いことから、特に朝晩とても冷えます。そのため、お父さんは家族を市内の大きな国立病院に連れて行くことにしました。なぜならば、そこではキリスト教関係者が救急で運ばれた患者の家族らに、外で温かい飲み物などを提供しているからです。
この日は特別寒い夜でした。ホンジュラス人の家族はみんな、病院で温かい飲み物などを受け取り、その後、布切れや段ボールなど寒さを凌ぐために持っているものを巻きつけて横になり、眠りにつきました。ここまでは、彼らにとっていつもと何ら変わりのない夜でした。夜が更けて、2ヶ月になる赤ちゃんがずっと泣き続けていました。そのため、お母さんは授乳をして寝かしつけてあげました。赤ちゃんは寝入ったようで、数分後には泣き声は止み、お母さんとお父さんも安心して他の子どもたちとともに寝ました。
朝方になり、お母さんが「もう、授乳の時間であるはずなのに、どうして子どもが泣かないのかしら」と不思議に思いながら、ふと額に手をやると、その冷たさに背筋が凍りつきました。すぐに夫を起こして状況を伝え、赤ちゃんを病院に運び込みました。赤ちゃんは、あまりに寒い環境にいたことから低体温症となり、医師らの懸命の救命活動にも応えることなく、その短い人生に幕を下ろしたのです。
両親は、まったくお金を持っていなかったため、ある葬儀会社が赤ちゃんのための棺を用意しました。同時期、ケツァルテナンゴの自治体は、この両親は経済的な面において育児できる状況ではないと判断し、経済的な安定を得るまでは養護施設で預かるという約束で、残された2人の子どもを施設へ送りました。そのため、赤ちゃんはこの2人の兄弟には見送られることなく、埋葬されたのです。
赤ちゃんはたった2ヶ月でこの世を去りました。両親はその責任について刑罰に問われています。しかし、その「責任」は両親にあるのでしょうか。そうではなく、貧困とそれに喘ぐ人々を救ってくれることのない国や社会こそが問題ではないのでしょうか。
(2017年12月発行のニュースレターNo275より)